マルコ2:1-12(ルカ5:17-26)
25.9.14.
この「中風の人」の癒しは、イエスが罪を赦す権威を持っている方、すなわち神ご自身であることを示す奇跡であった。それゆえ、この話の中心人物はイエスご自身であるが、「中風の人」をイエスのもとに連れて来た「四人の人」に目を向け、人々をイエスのもとに導き、救いに導くためには、何が必要なのかを学ぶ。
1.人々の救いに対する情熱を持つ
ルカ5:18には、「男たちが、中風をわずらっている人を、床のまま運んで来た。そして、何とかして家の中に運び込み、イエスの前に置こうとしていた」とある。この「四人の人」と「中風の人」のとの関係がどのようなものであったのかは分からない。彼らは、その「中風の人」を憐れみ、癒されてほしいと願った。ある時、彼らは、イエスの様々な奇跡のうわさを聞き、イエスなら、その「中風の人」を癒して下さると信じ、彼をイエスのもとに連れて行った。
彼らは、自分がイエスから祝福を頂くことを願って、イエスのもとに行ったのではない。ただその「中風の人」が癒されることだけを願って、イエスのもとに行った。彼らは、自分の祝福だけを求める自己中心的な者ではなく、他の人の救いを熱心に求める者たちであった。今日のクリスチャンも2種類のクリスチャンに分けられる。自分の祝福だけを求めるクリスチャンと人々の救いを求めるクリスチャン。残寝なことに、多くのクリスチャンは自分のことだけにしか関心がない。自分の祝福を求めるだけで、他の人の救いには無関心。そして、そのような自己中心的なクリスチャンによって、救いを必要としている人々がイエスに近づくことが妨げられている。ちょうど、この「中風の人」がイエスを見ようとした群衆によって妨げられ、イエスのもとに近づくことが出来なかったように。
あなたは、自分だけイエスのもとに行くのか、誰かを連れてイエスのもとに行くのか。今日も、私たちの周りにもこの「中風の人」のように何の喜びも希望もなく、イエスの救いを必要としている人々がいる。そういう人たちをイエスのもとに連れて行く情熱を持つ必要がある。
2.困難でも諦めない
イエスがいた家は多くの人が「集まったため、戸口のところまですきまもないほど」だった。それで「四人の人」は「群集のためイエスに近づくことができなかった」。しかし、彼らは、失望したり、諦めてしまわなかった。彼らは、「何とかして家の中に運び込み、イエスの前に置こうとしていた」。そこで、大胆な方法を考え出し、それを実行した。ルカ5:19には、「大ぜい人がいて、どうにも病人を運び込む方法が見つからないので、屋上に上って屋根の瓦をはがし、そこから彼の寝床を、ちょうど人々の真ん中のイエスの前につり降ろした」とある。
それは、常識を超えた方法、危険な方法、人々から批判されるような方法であった。しかし、彼らは、「中風の人」をイエスの救いに導くために、どんなことでもした。私たちが人をイエスに導こうとする時、困難や障害に直面することがある。しかし、そのような時も失望したり、諦めたりせず、主からの知恵と力と導きを祈り求めることが大切。そして、主に与えられた知恵を用い、主が導かれる方法で、人々をイエスのもとに導く。その方法は、意外な方法かもしれない。
パウロは、「私はすべてのことを、福音のためにしています」(Ⅰコリ9:23)と言っている。パウロは、福音を伝えるためには、どんなことでもすると言っているのである。「福音のためにどんなことでもする」という思いが必要。Cf.Ⅱテモ4:2。
3.一致協力する
「四人の人」は「中風をわずらっている人を、床のまま運んで来た」。また、彼らは、屋上から「中風の人を寝かせたままその床をつり降ろした」。このようにするためには、「四人の人」が協力し、力を合わせなければならなかった。もし、一人が力を抜いたりしたならば、「中風の人」は床からずれ落ちて、大けがをしたり、死んでしまっただろう。「中風の人」をイエスのもとに連れて行くためには「四人の人」の一致協力が必要だった。
ここに、一致協力することの重要性が見られる。イエスは、一致の重要性について、「もし国が内部で分裂したら、その国は立ち行きません。また、家が内輪もめをしたら、家は立ち行きません」(マコ3:24-25)と語られた。どんなに優秀な人材がそろっていても、それぞれがバラバラに個人プレーをしていては、勝利は得られない。しかし、みんなで力を合わせていく時、大きな力、大きな成果が現される。しかし残念ながら、今日、クリスチャンたちの間に一致がないために、教会は弱く、福音宣教が進まず、リバイバルが妨げられている。
福音宣教は、キリストの体である教会におけるチームワークによってなされる。福音宣教は、牧師だけの仕事ではない。特別な人だけではなく、教会の一人一人が福音宣教を担って、チームになって働くのである。誰一人重要でない人はいない。100%の人の参加と協力が必要。「それぞれが賜物を受けているのですから、神のさまざまな恵みの良い管理者として、その賜物を用いて、互いに仕え合いなさい。」(Ⅰペテ4:10)
イエスは、「四人の人」たちの「信仰を見て」、その「中風の人」を癒した。「四人の人」たちの「信仰」は、彼らの言葉ではなく、行動によって現わされていた。彼らは、「中風の人」の癒しを願い、障害があっても諦めず、力を合わせ協力したのである。私たちも、人々の救いに対する情熱を持ち、困難を乗り越え、一致協力しよう。人々は、イエスの行われた奇跡を見て驚き、神をあがめた。神の栄光が現された。私たちも、人々の救いのため、神の栄光のために用いられる者となろう。
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