使徒17:16-34
250622
クリスチャン人口1%と言われる日本では、私たちの周りにはまったく違う考えの人たちがほとんどです。そんな中で、福音を語るということは、人々に受け入れられないこともあるでしょう。パウロはどのように福音を宣べ伝えたのでしょうか。
1.伝道に命をかけるパウロ
アテネは町中が偶像であふれていました。また、合理的な考え方が根付いていたので、復活を受け入れませんでした。さらに哲学の研究が盛んでした。哲学は信仰とは根本的なところが違っています。しかし、パウロはそんなアテネの道端で、毎日福音を宣べ伝えていました。人々は彼を「おしゃべり」と言って尊敬しませんでした。それでも彼は福音を毎日宣べ伝え続けたのです。すると、大勢の人たちの前で話すチャンスも与えられました。パウロはチャンスを活かして、アレオパゴスという公の場所で、大勢の人々の前で、堂々と福音を語りました。
なぜパウロはこれほどまでに、毎日福音を語っていたのでしょう。それは、パウロは福音を宣べ伝えることを主から与えられた任務としていたからであり、福音伝道に命をかけていたからです(使徒20:24)。
私たちには福音を宣べ伝える任務が与えられています(マルコ16:15、マタイ28:18-20、Ⅱテモテ4:2)。そのために聖霊が注がれているのです(使徒1:8)。私たちも職場や学校には、クリスチャンはあまりいないかもしれません。周りの人々は皆それぞれ全然違う考えを持っているということです。そのような中でも、パウロのように、自分の信仰をはっきり言うことが大事です。私たちも自分のことだけでなく、神の国のことに目を向け、福音のために生きていきましょう。
2.パウロの説教はイエスと復活
パウロが宣べ伝えた福音の基本は、①神の天地創造と私たちに対する愛、②人間の罪と神からの断絶、③神の子イエスによる十字架の贖いの御業、④イエスの復活と私たちの救いです(ヨハネ3:16、Ⅰコリント15:1-5)。これらのことを信じるなら永遠のいのちが与えられ、魂は救われるのです。同時に神の子どもたちとなるのですから、日々の生活も守られます。私たちがこれらのことを信じるとき、本当の平安が与えられ、喜びが湧き上がってきます(Ⅰペテロ1:8-9)。この喜びは何があっても消えません。
パウロは人がやがて裁きを受けることも宣べ伝えました(使徒17:30-31)。神は一人一人の人生について、裁き、あるいは報いを与えられるのです。ところが、そこに哲学者たちがいました。哲学とは、どのように生きれば幸せになるか、そのためにはどうしたらよいかを理性的に考えることです。ギリシャでは何百年も前から研究しているのです。しかし、哲学は神に期待することも、神の助けがあることも、神の裁きがあることも考えていないのです。神なしの人生は虚しいものです。私たちがそれぞれの人生を神の栄光のために生きるなら素晴らしいことです(Ⅰコリント10:31)。
アテネは人間の哲学を追究する町でしたが、福音はそれよりもはるかに素晴らしいものです(コロサイ2:8)。福音は嘘のように見えても真実です(Ⅱコリント6:8-10)。私たちは福音を恥じることはないのです(ローマ1:16)。
先に救われた私たちは、福音を宣べ伝えていく必要があります。そのためにも福音について、人々に説明できるようになる必要があります。また、チャンスを活かして福音を宣べ伝えましょう(エペソ5:16、Ⅱテモテ4:2)。福音を分かりやすいように宣べ伝えることも大切です。とくに、主のしてくださった体験談を話すことが大事です。
3.神は人の心を開かれる
アテネの人々の考えはパウロの信仰とは大きくかけ離れていました。しかし、パウロの話を信じて仲間になった人たちが数人いたのです。その中には裁判官という地位のある人もいました。福音は神の御計画であり、真実なのです。恐れずに宣べ伝えれば、神の選んだ人々の心は神が開いてくださるのです。福音を恥ずかしく思う必要はないのです(ルカ9:26、ローマ1:16)。
まとめ
アテネの人々は福音を受け入れそうもない人たちでしたが、パウロは毎日大胆に福音を宣べ伝えていました。パウロは福音を語ることを主から与えられた任務であると知っていました。私たちも福音を宣べ伝えましょう。イエスを信じる信仰は、この世のどんな考えよりも素晴らしいものです。人々が理解してくれなくても、神に選ばれた人たちは心が開かれるのです。
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