25.9.7.

私たちは、イエスを愛していますが、イエスの思いを知っているでしょうか。

イエスが最も願っておられることは何でしょう。

1.イエスの食物

イエスは、敢えてサマリヤを通るルートを選ばれたのです(4)。それは、一人のサマリヤの女を救いに導くためでした。彼女には、心の渇きがありました。彼女の人生には問題がありました。彼女は、救いを必要としていました。イエスはそんな彼女のことを全てご存知でした。彼女はイエスとの会話の中で、イエスをメシヤと信じることが出来ました。

それは、ちょうど弟子たちが町に食物を買出しに行っている間に起こりました。彼らが帰って来てイエスに食物を差し出すと、イエスは言われました。「わたしには、あなたがたの知らない食物があります。」(32) 弟子たちにはこの言葉が理解出来ず、普通の食物だと思いました。そこで、イエスは「わたしを遣わした方のみこころを行い、そのみわざを成し遂げることがわたしの食物です」(34) と言われました。ここでイエスが言われた「食物」とは、「人々の救い」のことだったのです。

父なる神の御心は人々の救いです(ヨハ3:16。Ⅰテモ2:4。Ⅱペテ3:9)。イエスは、一人のサマリヤの女を救いに導いたことに大きな喜びと満足を感じたのです。一人の人を救いに導くことは、神の御心を行うことであり、神に喜ばれることです。私たちは、家族や友人を救いに導くことに関心を持っているでしょうか。人々がイエスを信じて救われることを願っているでしょうか。イエスは、父なる神の御心を行うことが「わたしの食物」だと言われました。私たちも人々を救いに導くことを喜びとしていきましょう。

2.救われるべき人々は大勢待っている

「目を上げて畑を見なさい」(35)というのは、自分の家庭、学校や会社、地域など、私たちが遣わされている所の人々を見渡してみなさいということです。人々を見ると、何の問題もなく、楽しく人生を送っているように見えるかもしれません。また、日本における伝道は難しいと言われ、何をしても無駄だと考えている人もいるかもしれません。しかし、実際には、人々は、様々な問題に悩まされ、何の望みもなく、空しく人生を送り、永遠の滅びへと向かっているのです。

福音を必要としている人々、救いを必要としている人々が大勢いるのです。イエスは畑が「色づいて、刈り入れるばかりになっています」(35)と言われました。イエスは、マタイ9:37でも、弟子たちに「収穫は多い」と言っておられます。自分の問題だけしか目に入らなかったり、自分の生活だけに追われていたり、自分の祝福だけを求めていないでしょうか。

イエスは言われました。「目を上げて畑を見なさい。色づいて、刈り入れるばかりになっています。」 今、目を上げて、魂の収穫の畑に目を向けようではありませんか。サマリヤの女のように、福音を必要とし、救いを待ち望んでいる人々が大勢います。

3.収穫の働き手が必要

イエスは、「収穫は多いが、働き手が少ない。だから、収穫の主に、収穫のために働き手を送ってくださるように祈りなさい」(マタ9:37-38)と言われました。イエスは、まず「祈りなさい」と言われました。魂の収穫のため、人々の救いのため、福音宣教のために祈らなければならないのです。福音宣教のためには祈りが必要です。祈りなくして福音宣教の働きは進んで行きません。なぜなら、人間的な知恵や技術や努力だけで、人々を救いに導くことは出来ないからです。福音宣教は、聖霊による働きであり、サタンの支配から神の支配へと解放する霊的な戦いです。使26:18、コロ1:13。パウロも、福音を伝えることが出来るように祈って欲しいと言っています。エペ6:19-20。

特に、イエスは、「収穫のために働き手を送ってくださるように祈りなさい」と言われました。福音を伝える「働き手」、人々を導く「働き手」が必要なのです(ロマ10:14)。しかし、イエスは、「働き手を送ってくださるように祈りなさい」という言葉を聞いて、これに応答して、一人一人が「働き手」として立ち上がることを願っておられるのです。イエスが求めておられるのは、単なる「祈り手」ではなく「働き手」です。宣教のために祈る人が「働き手」として立ち上がることを求めておられるのです。

イエスは、私たちをご自分の元に来るように召し出されただけではなく、ご自分のために出て行く者となるように召し出されたのです。マタ28:19-20。マコ16:15。

 

今、私たちは、自分のことから目を上げて、魂の収穫の畑を見渡しましょう。収穫は多いのです。福音を必要としている人々、救われるべき人々が大勢います。魂の収穫のため、福音宣教のため、収獲の「働き手」が与えられるように祈りましょう。そして、収穫の「働き手」として自分を主にささげ、収穫の畑へと出て行きましょう。

福音宣教は、私たち教会に与えられた使命です。教会の存在目的は福音宣教です。教会の果たすべき役割は福音宣教です。教会は、人々に福音を宣べ伝え、人々を救いに導くため、進んで行かなければなりません。

イエスは、サマリヤのたった一人の女を救いに導くために、人種、文化、宗教、社会的な境界線を越えて、敢えてサマリヤを通られました。私たちも、人種、文化、宗教、社会的な境界線を越えて、サマリヤへの道に行きましょう。イエスと同じ情熱をもって人々を救いに導く「働き手」となりましょう。

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