出エジプト2:11-15
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すべてのクリスチャンが聖書の教える価値観を持っているとは限りません。信仰をもっていても、この世の人たちと同じような価値観の人もいます。人生の中半で価値観が大きく変化したモーセの話から学びましょう。
1.ヘブル人たちの苦役を見て衝撃を受けたモーセ
モーセはパロの娘の子として育てられました。彼は高い身分が与えられ、何不自由なく生活することができました。モーセは実の母ヨケベデによって育てられたので、自分がヘブル人であることを知っていたでしょう。しかし、モーセは大人になるまで、ヘブル人たちが働かされている姿を見ていなかったのでしょう。ヘブル人たちがどこかの町を作っていると知っていましたが、そこへ見に行くことはしませんでした。モーセはきっと、ヘブル人について、それほどの関心がなかったのでしょう。エジプト人として安楽な生き方をする方が良いと思っていたのかもしれません。
ところが、彼が40歳になったとき、自分が本当はヘブル人であることを思い出したのでしょう。ヘブル人たちがいるところに行ってみました。そこではヘブル人たちが奴隷として苦役を強いられ、一人のエジプト人が一人のヘブル人を打ちたたいていました。これを見て彼はカルチャーショックのようなものを受け、ヘブル人を助けたいという思いが沸き起こり、エジプト人として生きることをやめ、ヘブル人として生きることに決めました(ヘブル11:24-25)。
私たちはときどき、お金があると安心し、休日にはショッピングに出かけ、おいしいものを食べます。なんでも欲しいものが手に入ると安心します。しかし、信仰のために迫害されている人々の話を聞いたりして、信仰のために戦っている人がいることを知り、衝撃を受けるのです。そして、自分も信仰の戦いを戦うべきこと(Ⅰテモテ6:12)、福音のために苦しむ者とともに苦しむべきこと(Ⅱテモテ1:8)、自分も神の民であり、福音のために戦う兵士であることを決心するのです(Ⅱテモテ2:3-4)。
私たちも、福音を宣べ伝えるチームに参加してみたり、迫害の中を生きる宣教師の話を聞いたりすると、信仰のチャレンジを受け、価値観が変わってしまうものなのです。
2.神の民として苦しむことはエジプトの富に勝る
モーセが神の民として苦しむ道を選び取ったのは、そうすることで得られる神からの報いの方が価値があると思ったからです(ヘブル11:26)。エジプトの富は、この地上の富です。人間のさまざまな欲望を満たしたり、安楽な暮らしができることだったり、欲しいものが手に入ることや、他人を支配する権力などです。これらの肉の欲、目の欲、暮らし向きの自慢は神からくるものではなく、やがて滅びるものです(Ⅰヨハネ2:16-17)。このようなものを求めて生きるなら、これらの欲望とともに滅んでしまうのです。しかし、神の民として生きるなら、神の祝福の契約を引き継ぐので、神に守られ滅びません。それどころか、大いなる国民となるのです。世界を祝福する素晴らしい民となるのです。主を信じて義とされるのです(創世記12:1-3、15:5-6)。
私たちはこの世の人と同じように生きるのではなく、神の民として生きることが大切です。そうするなら、私たちを通して人々が救われ、神の国は拡大するのです。私たちの家族や友人が救われ、祝福された人生を送ることができるのです。また、神の国で永遠に続く報いを受けとることができます。
神の報いを受けることを確信させるのが信仰です(ヘブル11:1)。信仰を持ち続けるためには、困難や問題だけを見るのではなく、主イエスから目を見続けることが大切です。イエスも十字架の向こうに大きな喜びがあることを見続けていました(ヘブル12:2-3)。
3.エジプト人を殺してしまったモーセ
モーセはヘブル人を愛するあまり、相手のエジプト人を殺してしまいました(出エジプト2:12)。彼は自分が正義を行っていると思い込んでいたのです。翌日、彼はあるヘブル人が別のヘブル人を打ち叩いているのを見つけ(出エジプト2:13)、仲裁しようとしましたが、ヘブル人からは受け入れられず、パロからも命を狙われるようになりました。さらに、モーセによってヘブル人を救うという神のご計画は、先延ばしにされてしまいました。
私たちが真理を知ることは素晴らしいのですが、それだけしか見えなくなってしまうことがあります。自己中心的な信仰者になってはならないのです(伝道者7:16)。イエスは世の人々を愛し、自ら犠牲になって世の人々を救ってくださいました。神への信仰が大事であると同様に、隣人を愛することも大切です。神の民を愛することと同様に、世の中の人々を愛することも大切なのです。信仰生活、教会生活、伝道する生活が大切であるのと同様に、世の人々に仕えることも大切です。自分の家族の者がクリスチャンであろうとなかろうと、助け、守ることが大切なのです。
まとめ
私たちは、迫害の中で主の御名のために生きる人々のことを覚えましょう。神の国のために戦っている人たちの輪に参加しましょう。あるいは、伝道チームや宣教チームに参加して見分を広めてみましょう。その中で、神の民として生きることの大切さを悟るのです。
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