イザヤ書9:1,2
2025.11.30
1)闇の中に約束された光 イザヤ9:1,2
イザヤは紀元前700年頃に活躍した預言者でした。主イエス誕生から700年前です。
この預言が語られた当時、イスラエルの地は戦いで荒れ、人々は未来への希望を見失っていました。
人々は深い不安と混乱の中にいたのです。
しかし、イザヤはその闇の真っ只中で、宣言しました。
「しかし、苦しみのあった所に、闇がなくなる」(イザヤ9:1)
「闇の中を歩んでいた民は、大きな光を見た。」(イザヤ9:2)
神は暗闇の真っ只中で約束を語られました。光は闇のただ中で輝き始める、と。
神の働きは、状況が明るくなってから始まるのではありません。
そうではなく、闇が最も深い時にこそ始まります。
2)イザヤの預言の成就として現れたイエス マタイ4:13-17
主イエスはガリラヤに来られました。
宗教的な中心地だったエルサレムではなく、周辺と見なされていたガリラヤです。
ガリラヤは「異邦人のガリラヤ」と呼ばれるほど軽く扱われた地域でした。
しかし、マタイは大胆に宣言します。「イザヤが語り、預言した光は、まさにここで輝き始めた」 と。
誰も注目しない場所で、誰も期待しない地域で、誰も価値を見出さない人々の中で、神の光が立ち上がったのです。
神の光が輝いたのです。
マタイの福音書は、イザヤ書9章を引用しながら、イエス・キリストこそ、闇の中を歩む人々に現れた“まことの光”であると宣言しています。
主イエスは約束の光として“闇の中に住む民”の真っただ中に来られたのです。
イザヤ書の預言の成就として、イエスはこの地上に来られたのです。
3)光であるイエス ヨハネ1:1-5
ヨハネの福音書は、イエスを「初めから神と共にあったことば」(1節)と紹介しています。
その方こそ「すべての人を照らすまことの光」(9節)だと言います。
闇が深くても、この光を消すことはできないとヨハネは語ります。
「光は闇の中に輝いている。闇はこれに打ち勝たなかった。」(ヨハネ1:5)
どんな暗闇も、光であるキリストに勝つことはできません。
イスラエルの民は、メシヤの約束を何百年も待ちました。
しかし、神は決して遅れませんでした。
神の時は遅いのではなく、満ちるのです。神のタイミングは最善です。
私たちの人生にも「待つ季節」があります。
私たちは「待つ」ことに耐えられなくなりそうな時があると思います。
待つことは信仰の行為です。主を待ち望み続けましょう。
どんな闇があっても、光は来ます。神の約束は必ず成就します。
イエスは闇を照らす大いなる光です。
だから私たちは、希望の民として生きることができます。
Filed under: 和田一喜牧師

