イザヤ7:1-14
2026.2.8
イザヤは神の招きに、「ここに私がおります。私を遣わしてください」(6:8)と応えました。
しかし彼が遣わされた時代は、国が揺れ、民も王も恐れに支配されている時代でした。
イザヤ書7章は、そのような不安と危機の中で語られた神の言葉です。
1. 恐れの中で問われる信頼 7章
当時、南ユダはシリア(アラム)と北イスラエルの連合軍に攻められ、国全体が恐怖に揺れていました(7:2)。アハズ王は神ではなく、強国アッシリアに頼ろうとします。
しかし神はイザヤを通して語られます。
「気を確かに持ち、落ち着いていなさい。恐れてはならない」(7:4)
神は、目の前の脅威よりも、神の主権を見るよう求められました。
実際に攻撃はありましたが、エルサレムは陥落しませんでした(7:7)。
歴史は神の手の中にあります。しかしアハズ王は神を信頼せず、人間的な安全を選びました。問題は軍事力ではなく、「誰に信頼するか」でした。
そこで神は一つのしるしを与えられます。 「見よ、処女が身ごもっている。そして男の子 を産み、その名をインマヌエルと呼ぶ」(7:14)
インマヌエルとは「神は私たちと共におられる」という意味です。
神の答えは軍事力ではなく、神の臨在でした。
この預言は、やがて来られるイエス・キリストを指し示しています。
2.闇の中に与えられる希望の光 9~12章
続く預言では、「闇の中を歩んでいた民は大きな光を見る」(9:2)、「ひとりのみどりごが私たちのために生まれる」(9:6)と語られ、さらに「エッサイの根株から新芽が生える」(11:1)と希望が示されます。
切り株のように終わったように見える場所からも、神は新しい命を芽生えさせます。
人生が行き詰まったように見えても、神の計画は終わっていません。
私たちも同じ問いの前に立っています。不安の中で何に頼るのか。人の力か、神か。
イザヤ書12章では、恐れていた民が賛美する民へと変えられます。
「見よ、神は私の救い。私は信頼して恐れない」(12:2)
インマヌエルの約束は、問題がなくなるということではなく、どんな時も神が共におられるという約束です。
神は私たちと共におられます。この確信を持って歩んでいきましょう。
Filed under: 和田一喜牧師

