2026.2.8

イザヤは神の招きに、「ここに私がおります。私を遣わしてください」(6:8)と応えました。

しかし彼が遣わされた時代は、国が揺れ、民も王も恐れに支配されている時代でした。

イザヤ書7章は、そのような不安と危機の中で語られた神の言葉です。

1. 恐れの中で問われる信頼  7

当時、南ユダはシリア(アラム)と北イスラエルの連合軍に攻められ、国全体が恐怖に揺れていました(7:2)。アハズ王は神ではなく、強国アッシリアに頼ろうとします。

しかし神はイザヤを通して語られます。

「気を確かに持ち、落ち着いていなさい。恐れてはならない」(7:4)

神は、目の前の脅威よりも、神の主権を見るよう求められました。

実際に攻撃はありましたが、エルサレムは陥落しませんでした(7:7)。

歴史は神の手の中にあります。しかしアハズ王は神を信頼せず、人間的な安全を選びました。問題は軍事力ではなく、「誰に信頼するか」でした。

そこで神は一つのしるしを与えられます。 「見よ、処女が身ごもっている。そして男の子 を産み、その名をインマヌエルと呼ぶ」(7:14)

インマヌエルとは「神は私たちと共におられる」という意味です。

神の答えは軍事力ではなく、神の臨在でした。

この預言は、やがて来られるイエス・キリストを指し示しています。

2.闇の中に与えられる希望の光  912

続く預言では、「闇の中を歩んでいた民は大きな光を見る」(9:2)、「ひとりのみどりごが私たちのために生まれる」(9:6)と語られ、さらに「エッサイの根株から新芽が生える」(11:1)と希望が示されます。

 

切り株のように終わったように見える場所からも、神は新しい命を芽生えさせます。

人生が行き詰まったように見えても、神の計画は終わっていません。

私たちも同じ問いの前に立っています。不安の中で何に頼るのか。人の力か、神か。

 

イザヤ書12章では、恐れていた民が賛美する民へと変えられます。

「見よ、神は私の救い。私は信頼して恐れない」(12:2)

 

インマヌエルの約束は、問題がなくなるということではなく、どんな時も神が共におられるという約束です。

神は私たちと共におられます。この確信を持って歩んでいきましょう。

Filed under: 和田一喜牧師