エペソ人への手紙2:20-22

2025.3.30

エペソ人への手紙は「教会とは何か」ということを啓示している書簡です。
教会は「神の家族」です(エペソ2:18,19)。家族には住む(集まる)場所が必要です。
それが神の宮である教会です。
その土台は、使徒と預言者です(20節a、マタイ16:16-18)。
礎石はイエス・キリストです(20節b).

イエス・キリストにあって、私たちは聖なる宮となります(21節)。
私たちはキリストにあって、御霊によって、神の御住まいとなります(22節)。

私たち(教会)は聖霊の宮です(Ⅰコリント6:19,20)。神がご臨在されます。
旧約聖書に神の宮としての教会の型があります。

1)モーセの幕屋

モーセは神が言われた通りに幕屋を正確に造りました(出エジプト記40:33-35)。
幕屋が完成すると、神の臨在が現わされたのです。主の栄光が幕屋に満ちました。
昔は大祭司が年に一度しか至聖所に入ることができませんでした。
でも今は、主イエスを信じているクリスチャンなら、誰でも、いつでも、イエス・キリストを通して、至聖所に入って行くことができます。イエスが十字架で息を引き取られた時、聖所と至聖所を隔てていた神殿の幕が引き裂かれました。真っ二つに裂けたのです。
イエスが私たちのために神へ近づく道を開いてくださったのです(へブル10:19,20)。

2)ソロモンの神殿

ダビデは多くの戦いをしたので、神殿は息子のソロモンが建てました。
ダビデはそれでも、とにかく全力を尽くして神殿を建てる準備をしました。
ダビデは礼拝の心を持っていました。
ダビデは、主の家(神の宮)に住むことを何よりも願いました(詩篇27:4-8)
ソロモンが神殿を完成させました(Ⅱ歴代誌7:1-3)。
そこに主の臨在が現わされ、主の栄光が宮に満ちました。モーセの幕屋の時と同じです。イスラエルの民は、神の臨在の前に、ひれ伏しました。神を畏れ敬ったのです。
私たちも主の臨在を慕い求めましょう。神が求めているのは、真の礼拝者です。

 

私たちは「聖霊の宮」です。神が聖であるように、私たちも聖でありましょう。
体を聖く保ちましょう。自分の体をもって神の栄光を現わしていきましょう。
聖霊を悲しませるのではなく、聖霊を喜ばせ、聖霊を歓迎しましょう。
個人の礼拝(聖書と祈りの時間)を充実させ、習慣づけましょう。
教会は神の宮です。神が特別にご臨在される場所です。礼拝を通して、私たちは至聖  

所(主の臨在)へと入って行くのです。集まることをやめたりしないで、集まり続けましょう。 

更に主の臨在を慕い求めていきましょう。

Filed under: 和田一喜牧師