2026.1.4
イザヤの預言の起点となる出来事が、イザヤ書6章です。
イザヤは神から3つの幻を見せられ、神からビジョンを与えられました。
私たちは今、何を見ているでしょうか?どのようなビジョンを持っているでしょうか?
1. 主を仰ぎ見る 1節
イザヤは主を見た(1節)。主の御前に立つ体験をしました。これは天的なものでした。 イザヤは偉大な神を見ましたが、その神は聖い神でもありました。
天使たちが「聖なる、聖なる、聖なる、万軍の主」と神を礼拝していたのです(3節)。
賛美が捧げられると宮は煙で満たされました(4節)。煙は神の臨在を表しています。
イザヤが見た神の栄光の幻は、御子イエスの栄光でもありました(ヨハネ12:37-41)。
主を仰ぎ見ること、これが私たちの最優先事項です。
2. 心砕かれる経験 5節
主の栄光を見たイザヤの最初の反応は、「ああ、私は滅んでしまう」でした(5節)。
それは自己否定ではなく、神の聖さの前で気づく本当の自分でした。
イザヤは自分の姿を見たのです。これは内面的なものでした。自分の汚れ、罪深さ。
彼はこの幻を通して、人生が変えられました。神は砕かれている者を用いられます。
主が喜ぶのは、へりくだった謙遜な心です(イザヤ66:2)。
主は、炭火を彼の唇に触れさせ、「あなたの罪は赦された」と言われました(7節)。
この炭と火は、キリストの十字架と聖霊です。カルバリーとペンテコステ。
この2つを通して、神は私たち一人ひとりをも取り扱ってくださいます。
イザヤは自分の汚れを見ましたが、でもその後、自分の罪が贖われ、赦され、聖められているのを見たのです。神は私たちにも触れてくださいます(マタイ9:2,Ⅱコリント5:17)
3.遣わされた者として生きる 8節
イザヤは滅び行く世界を見ました。これは外面的なものです。
イザヤは神の御声を聞きました。「だれを、わたしは遣わそう。
だれが、われわれのために行くだろうか」(8節a)。
神を見て、赦されている自分を見て、滅び行く世界を見る人は、イザヤと同じ御声を聞きます。
「だれが、われわれのために行くだろう」と。イザヤは主の招きに応答しました。
「ここに、私がおります。私を遣わしてください」(8節b)。
私たちも主の招きに応答していきましょう。新しい領域へ遣わされて行きましょう。
すでに遣わされている場所で、光を放っていきましょう(イザヤ60:1)。