いのちの息吹を受けよう
エゼキエル37:1-14

25.2.2.
エゼキエルは、エルサレムの神殿で仕えていた祭司だった。しかしBC597年、第一次バビロン捕囚の際に、バビロンへと連れて行かれた。そしてその5年後、バビロンの地で預言者として召された。エゼキエルは、バビロンの地で、ユダヤ人たちに神からの言葉を語った。エゼキエル37章は、イスラエルの回復について語られている。
1.干からびた骨の幻
エゼキエルは、谷間に非常に多くの干からびた骨がある幻を見た(1-2)。これらの干からびた骨は、滅ぼされたイスラエルを表していた(11)。北イスラエル王国はアッシリア帝国によって既に滅ぼされていた。南ユダ王国もバビロニア帝国によって滅ぼされてしまった。彼らは悔い改めず、偶像礼拝を止めず、あらゆる悪を行い続けた。その結果、ついに神に裁かれ、滅ぼされてしまった。その状態は「ひどく干からびて」(2)いて、もう二度と回復出来ない状態だった。
いのちの源である神から離れてしまうなら、霊的いのちが失われ、霊的に死んだ状態となってしまう。Cf.エペ2:1-3。この干からびた骨の状態は、イスラエルだけのことではない。クリスチャンであっても、神との交わりが薄れると、霊的いのちが失われ、干からびた骨のようになる。死人が何も感じなくなるように、霊的に無感覚、無力となってしまう。
・救いの喜びが薄れ、神の恵みに感謝しなくなる。
・祈りや奉仕や伝道への情熱がなくなり、自分のことだけに忙しくなる。
・罪に対して鈍感になり、罪を犯しても平気になる。
・賛美している時、何の感動もなく、ただ歌っているだけとなる。
・この世に流され、世の人々と妥協的な歩みをする。
・信仰生活が形式的、表面的、律法的になる。
今、あなたは霊的にどのような状態にあるか。
2.主のことばを聞け
主は言われた。「これらの骨に預言して言え。干からびた骨よ。主のことばを聞け。」(4) 「神である主はこれらの骨にこう仰せられる。見よ。わたしがおまえたちの中に息を吹き入れるので、おまえたちは生き返る。」(5) 主は、干からびた骨が生き返ることを望んでおられた。すなわち、イスラエルが回復することを望んでおられた。
霊的ないのちを再び吹きかえすためには、まず「主のことば」を聞かなければならない。イエスも「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる」(マタ4:4)と言われた。この「ことば」は、ギリシヤ語で「レーマ」、すなわち「語られた言葉」。神は、御言葉を通して、私たちに絶えず語りかけておられる。私たちが聖書を開く時、神も口を開き語って下さる。毎日、聖書を読み、神の語りかけを聞いているだろうか。多くの人たちが毎日忙し過ぎて、主の御声が聞こえない。心が色々なことで一杯になっていて、御言葉が心に入って来ない。御言葉を読み、主の語りかけを聞くためには、自分のしたいことや生活を一旦中断しなければならない。何かを犠牲にしても、主の語りかけを聞くことはそれ以上の価値がある。
3.主の霊を受けよ
エゼキエルが預言すると、干からびた骨は互いに繋がり、人間の姿に回復したが、まだ息がなかったので、生きたものとなっていなかった(7-8 )。そこで、主はエゼキエルに言われた。「息に預言せよ。人の子よ。預言してその息に言え。神である主はこう仰せられる。息よ。四方から吹いて来い。この殺された者たちに吹き付けて、彼らを生き返らせよ。」(9)主は、主からの息によって干からびた骨は生き返ると何度も語っておられた。
・「わたしがおまえたちの中に息を吹き入れるので、おまえたちは生き返る。」(5)
・「おまえたちの中に息を与え、おまえたちが生き返る…」(6)
エゼキエルが預言すると、「息が彼らの中に入った。そして彼らは生き返り、自分の足で立ち上がった。非常に多くの集団であった」(10)。この「息」とは、主の「霊」すなわち聖霊のこと(14)。旧約聖書のヘブル語では、「息」は「ルーアッハ」といい、「霊」とも訳される。主は、ご自身の御霊によって、イスラエルを回復される。Cf.ヨブ33:4。人間は、神の霊によって、生き生きと生きるように造られている(創2:7)。私たちが霊的に生き返るためには、神の霊の注ぎが必要。神の霊が臨む時、その人は新しく造り変えられ、生まれ変えられる。イエスを信じる者の内には既に聖霊が内住しておられるが(Ⅰコリ6:19-20)、更に聖霊に満たされ続けることが必要。パウロは「御霊を消してはなりません」(Ⅰテサ5:19)、「御霊に満たされなさい」(エペ5:18)と命じている。
今、私たちの霊的な状態は、命のない干からびた骨の状態になってはいないか。霊的ないのちを失い「干からびた骨」の状態になった人を生き返らせるためには、主の息吹、聖霊が吹き込まれることが必要。聖霊に満たされる時、その人は新しく造り変えられ、生き返らされる。イエスは復活後、弟子たちに「息を吹きかけて」言われた。「聖霊を受けなさい。」(ヨハ20:22) ペンテコステの日、弟子たちが祈っていると、「天から」の「激しい風が吹いて来るような響き」が起こり、聖霊が臨み、彼らはみな「聖霊に満たされ」た(使2:1-4)。主のいのちの息吹、聖霊の満たしを受け、いのちにあふれたクリスチャンとなろう。
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