2019.03.31
以前、ヒゼキヤ王について学びました。彼は素晴らしい王様で、神様の前に正しいことを行いました。しかし、そのあと彼は重い病気になってしまいました。神様は彼の病気が治らないとおっしゃったのですが、彼の祈りを聞かれ、彼をいやされたのです。彼の祈りの何が神様を動かしたのでしょうか。
1.確信を投げ捨てず、神様に真剣に祈る
ヒゼキヤは確かに神様を信じて歩み続けてきました。にもかかわらず重い病気になってしまいました。しかも神様が、預言者イザヤを通して、この病気が治らないで死ぬと告げられたのです。普通の人なら絶望したでしょう。神様を信じるのをやめたことでしょう。しかしヒゼキヤは信仰を捨てませんでした。それどころか、神様に真剣に祈り求めたのです(Ⅱ列王記20:3)。ヒゼキヤは壁に向かって神様に祈りました。これは人にではなく、預言者イザヤにでもなく、神様ご自身を呼び求めたということです。泣きながら祈ったのは、真剣に祈ったということです。
私たちも、どんなときも信仰を捨てたり、失望したりしてはいけません(ヘブル10:35)。神様を信じていても、苦しみに遭うことがあります。神様から見捨てられたように感じることもあるかもしれません。しかし、そこで失望せず、神様を求めて祈りましょう。
2.神様を第一にして歩むなら神様は大いに喜んでくださる
ヒゼキヤは祈りの中で、これまで神様の良いとみられることを行い、神様を第一に生きてきたことを訴えました(Ⅱ列王記20:3)。
確かにヒゼキヤ王は神様を第一に、忠実に歩み続けてきました(Ⅱ列王記18:2-8)。私たちも神様を第一にしたいという気持ちはあるでしょう。しかしヒゼキヤ王は気持ちだけではなく、実際に神様を第一にして歩んできました。つまり行いのある信仰でした。行いのない信仰は死んでいます。しかし、行いのある信仰は生きているのです(ヤコブ2:17、24、26)。神様を第一にする生きた信仰を神様は大変喜び、私たちの必要に応えてくださいます(マタイ6:33)。
私たちも心の中の信仰だけでなく、日々の生活において、神様を第一にして歩みましょう。神様は私たちの行いを覚えていて下さり、必要に応えてくださるのです。
3.みことばを信じ、イエス様の御名によって祈る
神様は「わたしはあなたをいやす。三日目には、あなたは主の宮に上る」と告げられました。このときヒゼキヤは神様にしるしを求めました。すると神様は日時計の陰を10度戻されました。そして主は本当にヒゼキヤを3日で癒されました。
しるしというのは、神様のみことばが真実であることを証明する奇跡です。この日時計の陰が戻るというしるしを通して、神様のみことばが真実で力があることがわかります。天体も神様のみことばに従うのです。私たちも主のみことばを信じるなら、主の栄光を見るのです(ヨハネ11:40)。
私たちがさまざまな必要を祈り求めるとき、神様のみことばを求め、受け取りましょう。そして、みことばを信じ、口に出して祈り求めましょう。
私たちもヒゼキヤのように、どんなことがあっても失望しないで神様を求めましょう。そして日々の生活においても神様を第一にしましょう。そして真理のみことばを神様からいただいて信じることが大切です。このような神様に喜ばれる祈りで主の栄光を見る者となりましょう。
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