19.01.01

主は、私たち一人一人のために、良い計画を持っておられます。どのようにしたら、主の計画の内を、まっすぐ歩んでいくことが出来るのでしょうか。それは、私たちが「行く所どこにおいも、主を認め」ることによってです。

1.主が人生の主であることを認める

人生のビジョン、夢や目標を持つことは大切なことです(箴言29:18)。人生のビジョン、夢や目標を持っている人は、自分の感情や周りの状況に流されず、自分をコントロールすることが出来ます。自分の時間、能力、お金、エネルギーを正しいことに使うことが出来、無駄がありません。その人は、必ず自分のビジョン、夢や目標を実現させます。ですから、人生のビジョン、夢や目標を持つことは、とても大切なことです。

しかし、箴言19:21には、「人の心には多くの計画がある。しかし主のはかりごとだけが成る」とあります。人生のビジョン、夢や目標を持っていても、その実現のために努力しても、必ずしも、自分の願ったこと、考えていたことが実現するとは限りません。「主のはかりごと」すなわち「主の御心」、「ご計画」だけが成し遂げられるのです。主は、ご自身の御心とご計画を必ず成し遂げられます(イザヤ46:10)。

重要なことは、自分の人生の主は、主なる神であるということを認めることです。自分が人生の主なのではなく、神が私たちの人生の主なのです。私たちは、主が自分の人生の主であることを、へりくだって認めなければなりません。自分が考えているように自分の人生を動かしているのでも、生きているのでもありません。主が私たちの人生の主であり、私たちの人生を支配しておられるのです。

2.主が人生の導き手であることを認める

私たちには、人生の良いナビゲーター(案内人)が必要です。私たちの人生のナビゲーターは、主ご自身です。主は、私たちを正しい道へまっすぐに導いて下さいます。Cf.詩篇23:3。私たちが正しい道にまっすぐに導かれるためには、私たち自身と私たちの人生を、全てナビゲーターである主に明け渡すことが必要です。

主に全てを明け渡すということは、主の前に完全に降伏して、主が言われること、導かれることには何でも、「はい、主よ」と応じて従うことです。自分のビジョン、夢や目標、自分のやりたいことを主に押し付けてはいないでしょうか。どんなに導きを求めていても、自分のビジョン、夢や目標、やり方に固執し、主に全てを明け渡そうとしないなら、正しい道へと導かれることは出来ません。「主が導かれることは何でも従います」と全て明け渡すことが必要です。詩篇37:5

主の導きが私たちの理解を超えたものである時もあります。しかし、従うことによって、主の御心を理解することが出来るようになるのです。私たちが自分の人生を自分が握りしめている限り、主は私たちを導くことは出来ません。主が人生の導き手であることを認め、主に全てを明け渡し、従いましょう。詩篇32:8,9

3.主が最善をなされることを認める

私たちの人生には、良いことばかりではなく、悪いことと思えることも起こります。しかし、主は、私たちのために良い計画を用意しておられます(エレミヤ29:11)。たとえ、私たちの目には最悪と思えるようなことがあったとしても、主は、それを最善につくり変えることがお出来になります(ローマ8:28)。

人生の中で不満要素を見つけ出そうとすれば、簡単にいくらでも上げることが出来ます。そして、いくらでも自分自身を現実以上に惨めにしたり、不幸にすることも出来ます。しかし、私たちはそのようなことに心を捕らえられてしまわないように、常に主が私たちに最善をなさるということを信じなくてはならないのです。

私たちは、目で見えることによって判断しますが、全てが分るわけではありません。しかし、主は、全てのことをご存知で、全てを支配し、全てのことの背後に働いて、私たちの人生を最善へと導いておられるのです(伝道3:11)。ですから、目で見えることによって勝手な判断を下してはなりません。「どうしてこんなことが起こるのか」と不満を言いたくなることもあるかもしれません。しかしそこには、私たちには分からない、理解出来ない、主の偉大なご計画があるのです。それは、その時は分らなくても、後になれば分るのです(ヨハネ13:7)。人生に起こる一つ一つの事柄の中に、主の最善を認めることが大切です。

主が祝福して下さらなければ、何も得ることも、何も成し遂げることも出来ません。どこにおいても、どのような状況の中でも、主を認めましょう。主が人生の主であることを認め、主が人生の導き手であることを認め、主が最善をなされることを認めましょう。そのように、主を認める時、主が私たちの人生の道をまっすぐに導いて下さるのです。私たちの人生の道は、主によって確立されるのです。箴言16:9