マタイの福音書 16:21-27
2024年7月14日
主イエスは弟子たちに、自分が十字架に架かり、多くの苦しみを受け、殺されること、そして三日目によみがえることを話し始められました(21節)。
1.邪魔をする悪魔
主イエスから十字架に架かるという予告を聞いたペテロが言います。
「そんなことが、あなたに起こるはずがありません。」(22節)
それに対して、イエスは答えました。「下がれ。サタン」(23節)
イエスが「引き下がれ、サタン」と言った場面は、他にもありました(マタイ4:10)。
悪魔は神の働きを邪魔する者です(23節)。ペテロを使って、イエスに十字架を避けることを提案してきました。悪魔は私たちにも働き、十字架の道を避けさせようとしてきます。
2.十字架に従う道
イエスは弟子たちに言われました。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。」(24節)
イエスについて行こうとする者は、自分を捨て、神に人生を委ねる必要があります。
また自分の十字架を負うことが求められます。イエスの十字架を無理やりに背負わされた人がいました。シモンというクレネ人です(マルコ15:21)。彼はこの経験を通して、人生が変えられ、家族が変えられました(ローマ16:13)。
またイエスは言われました。「人はたとい全世界を手に入れても、まことのいのちを損じたら、何の得がありましょう。」(26節)。
まことのいのちを手に入れることは、全世界を手に入れるよりも価値があります。なぜなら、この世での栄光は一時的だからです。しかし、まことのいのちは永遠で、決して変わることがありません。神がくださる栄光は永遠の祝福です。
3.神からの報い
主イエスは再臨されます。一度目はしもべとして来られましたが、今度来る時は、王の王として、天使と共に来られます(27節)。
その時に、おのおののその行いに応じて神から報いを受けます。クリスチャンに与えられる報酬です。これを「キリストの裁きの座」と言います(Ⅱコリント5:10)。「大きな白い御座」の裁きとは区別されるものです(黙示録20:11-15)。
そこで、どのようにクリスチャンとして歩んできたかが、神によって評価されます(Ⅰコリント3:10-15)。今日の歩みは、永遠の報いと関係があります。
主イエスは「わたしについて来なさい」と私たち一人ひとりを招いておられます。
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