2023.05.07
盲人バルテマイたち(マルコ10:46)は、目が見えなかったので仕事をすることができず、物乞いをしなければいけない状況に追い込まれていました。彼らは自分の将来に希望を持つことできずに、絶望していました。そのような彼らが「イエスが通られる」(30節)という知らせを聞いたのです。その時に、バルテマイたちの心に希望が湧いてきました。信仰が与えられたのです。なぜなら彼らはイエス様が盲人の目を開けたニュースを聞いていたからです(ヨハネ9:6,7)。信仰は聞くことから始まります(ローマ10:17)。私たちも毎日聖書の言葉を読んで信仰の満たしを受けていきましょう。
イエス様が通られると聞いた彼らは信仰が与えられ、一致してイエス様に目を留めてもらおうとして叫びました。群衆は彼らを黙らせようとしました。しかし、バルテマイたちはあきらめずに励まし合って叫び求め続けたのです。私たちが主に求める時、いろいろなものが祈りを妨げてくると思います。でも彼らのように一致して「主よ。私たちをあわれんでください」(31節)と叫び祈り続けましょう。求め続けるなら与えられます(マタイ7:7)。
バルテマイたちの叫びによってイエス様は立ち止まりました。そして彼らに聞かれました「わたしに何をしてほしいのか」(32節)。彼らはシンプルに「主よ。この目をあけていただきたいのです」(33節)と答えました。イエス様は二人の願いを知っていたはずです。でも敢えて彼らに聞かれたのです。私たち一人ひとりにもイエス様は「私に何をして欲しいのか」と聞いてくださっています。私たちの口からその答えを聞きたいと願っておられると思います。彼らのように複雑にしないで、シンプルに「主よ。私はこのようにしていただきたいのです」と答えようではありませんか。
Filed under: その他の説教者 • 和田一喜牧師
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