20.9.6.

17章では、アブラムにとって大きな転機となる出来事が記されています。ここからどのようなことが学べるでしょう。

1.私たちが無力になった時に主は働かれる

アブラムが「九十九歳になったとき、主はアブラムに現れ」(1)ました。ハガルとの間にイシュマエルが生まれたのは、「八十六歳」(16:16)の時でしたが、その時からもう13年経ちましたが、主からの語りかけも、働きかけもありませんでした。また、アブラムたちがカナンに移り住んでから、既に24年が経とうとしていました。その間、主は、アブラムに子孫が与えられると何度も語って来られました。しかし、子どもは与えられず、アブラムとサライは年を取るばかりで、子どもができる可能性は、低くなる一方でした。

アブラムとサライは、どのような思いで過ごしていたことでしょう。「なぜ主は答えて下さらないのか」、「主からの語りかけは、気のせいだったのか」、「ここまできたら、もう無理だろう」、「このままどこまで年を取っていくのだろうか」、アブラムたちには、もうどうすることも出来ませんでした。

そのような時、突然、「主はアブラムに現れ」たのです。主が現れ、働いて下さる時は、多くの場合、私たちが無力になった時です。自分の無力さを認め、主の前に降参した時、初めて主に頼ることが出来るからです。逆に、自分の知恵や力に頼って、自分で何とかしようとしている間は、主は働くことが出来ないのです。自分の知恵や力ではどうすることも出来なくなる時、主が現れ、働かれるのです(Ⅱコリ12:9)。

2.全能の神を信じ信頼する

主は、アブラムに「わたしは全能の神である」(1)と語られました。「全能の神」とは、ヘブル語で「エル・シャダイ」と言います。どんなに不可能なことであっても、主には不可能はなく、主は、どんなことでも出来る「全能」なるお方なのです(エレ32:17,27マタ19:26)。

また主は、アブラムに「あなたはわたしの前を歩み、全き者であれ」(1)と語られました。「全き者」とは、罪も過ちも犯さない完全な人間という意味ではありません。「主を100%信じ信頼する者」という意味です。主は、アブラムに、「全能の神」を100%信じ信頼するようにと語られたのです。

この時、主は、アブラムに3つの約束をされました。

 子孫が増え、多くの国民が生まれる(2-6)⇒エジプト滞在400年間の時に成就。

 子孫から王たちが出る(6)⇒ダビデの時代に成就。

 カナンの地を永遠の所有として与える(8)⇒ヨシュアの時代に成就。

これら全てを主ご自身が成し遂げると語られました。アブラムが成すべきことは、ただ「全能の神」を100%信じ信頼することだけでした。主は、私たちにも「わたしは全能の神である。あなたはわたしの前を歩み、全き者であれ」と語っておられます。Cf.申18:13

3.新しい者にされる

① 新しい名前

主は、アブラムに「アブラハム」(5)という新しい名前を与えました。「アブラム」は「高貴な父」という意味で、「アブラハム」は「多くの国民の父」です。アブラムの子孫が非常に多く増え、その中から「多くの国民」が誕生するからです。

一方、サライも「サラ」(15)という名前に変えられました。サライは「私の王女」という意味で、「サラ」は「王女」という意味です。主は、サラについても「…彼女によって、あなたにひとりの男の子を与えよう。…彼女は国々の母となり、国々の民の王たちが、彼女から出て来る。」と約束されました(16)。

「名は体を表す」と言われているように、聖書の中でも、その人の名前は、その人の性質を表すものとなっています。主が新しい名前を与えて下さったということは、主がその人を新しい人にして下さる、その名のような者にして下さるということです。アブラハムとサラは、新しいアイデンティティーを与えられたのです。

② 契約のしるし割礼

主はアブラハムに「契約」のしるしとして「割礼」を受けるように命じました(10-11)。「割礼」とは、男性器の包皮を切り取ることで、主との「契約」のしるしです。ユダヤ人は、今でも「割礼」を非常に大切にしています。

しかし、大切なのは、形式的、外面的な「割礼」ではなく、内面的な心の「割礼」です。心の「割礼」を受けるとは、頑固で不従順な心を取り除き、心から主を愛し、主に従う者となるということです(申10:16申30:6)。エレミヤは「主のために割礼を受け、心の包皮を取り除け」(エレ4:4)と命じました。主がアブラハムに求めたことは、自分の知恵、考え、方法、力に頼るのではなく、心から主を愛し、主を信じ、主に従う者となるようにということだったのです。

アブラハムは主の語りかけを聞くと、「ひれ伏し」ましたが「笑っ」てしまいました(17)。主が語られたことを素直に信じることが出来なかったからです。そして、イシュマエルを後継ぎとして下さるようにと言いました(18)。それに対して、主は「あなたの妻サラがあなたに男の子を産むのだ」と言い、その子を「イサク」と名付けるようにと命じました(19)。「イサク」とは、「彼は笑う」という意味です。

 

この後、アブラハムは、直ぐに主に従い、家の男たち全員に割礼を受けさせました。私たちには、「心の割礼」が必要です。それは、心から主を愛し、素直に主に従う心です。主は「全能の神」です。私たちにも「全き者であれ」と語っておられます。「全能の神」を100%信じ信頼し、全てを主に明け渡し、主に従う者となりましょう。

Filed under: アブラハムの信仰の旅伊藤正登牧師