創世記13:1-18

24.10.20.
人生には小大様々な選択がある。そして、人生は一度しかない貴重なもの。だから、この人生を無駄にしないために、正しい選択をしなければならない。間違った選択をして失敗しないためには、どのように選択をしたら良いのか。
1.アブラムの選択 – 信仰による選択
「アブラムは家畜と銀と金とに非常に富んでいた。」(2)「アブラムといっしに行ったロトもまた、羊の群れや牛の群れ、天幕を所有していた。」(5) しかし、「その地は彼らがいっしょに住むのに十分ではなかった。彼らの持ち物が多すぎたので、彼らがいっしょに住むことができなかったのである。」(6) そのため、狭い土地での牧草や水の獲得をめぐって、「アブラムの家畜の牧舎たちとロトの家畜の牧舎たちとの間に、争いが起こった。」(7) 争いを避けるため、アブラムはロトに提案した。「全地はあなたの前にあるではないか。私から別れてくれないか。もしあなたが左に行けば、私は右に行こう。もしあなたが右に行けば、私は左に行こう。」(9)
アブラムは、土地の選択権をロトに譲った。アブラムは年長者だったので、全ての事を決定する権威はアブラムにあった。普通なら、アブラムが先に良い土地を選ぶことが出来たし、アブラムがロトに土地について命じることが出来たはず。これは、アブラムの主に対する信仰の現われだった。アブラムは、祝福は場所からではなく、主から与えられるものであると確信していた。「主の祝福そのものが人を富ませ、人の労苦は何もそれに加えない。」(箴10:22)
この原則を、アブラムは、自分の失敗体験から学んでいた。カナンが激しい飢饉に見舞われた時、アブラムたちはエジプトに行った(創12:10)。エジプトは豊かな地であり、飢饉の際にはエジプトに避難することは当時の常識だった。しかし、アブラムは主を信頼して、約束の地カナンに留まるべきであった。アブラムは、自分の妻サライを妹だと言って、偽りによって自分を守ろうとした。そのため、サライはエジプトの王に奪われ、エジプトにも災いがもたらされた。本来、アブラムは祝福の管になるはずであったのに、災いの管になってしまった。アブラムはこの失敗から、自分の思いではなく、主に信頼し、従うことの大切さを学んだ。だから、自分で土地を選ぶのではなく、ロトに先に選ばせた。ロトに先に選ばせることによって、主に委ねた。アブラムの選択は、信仰による選択だった。
2.ロトの選択 – 見た目による選択
「ロトが目を上げてヨルダンの低地全体を見渡すと、…主の園のように、またエジプトの地のように、どこもよく潤っていた。」(10)「それで、ロトはそのヨルダンの低地全体を選び取り、その後、東のほうに移動した。」(11) 当時は、「主がソドムとゴモラを滅ぼされる以前であったので」(10)、緑が豊かだった。それで、ロトには、その土地が、家畜を飼うには最適に思われた。ロトの選択は、信仰によってではなく、見た目に従うものだった。ロトは、目に見えない主を信頼するよりも、目に見える豊かさに信頼した。
初めロトは、「ソドムの近くまで天幕を張った。」(12)「ところが、ソドムの人々はよこしまな者で、主に対しては非常な罪人であった。」(13) しかし、ロトはそのようなことは全く気にせず、目先の利益にしか目を留めなかった。ロトは「ソドムの近く」に住むようになったが、やがて「ソドムに住んでいた。」(創14:12) そのため、ロトは、「ヨルダンの低地」で起こった諸王の戦いに巻き込まれて、自分も家族も財産も全て奪われてしまった(創14:1-12)。しかし、アブラムによって救出され、家族も財産も取り戻された(創14:14-16)。それでも、ロトは、懲りることなく「ソドム」に住み続けた。ついには、「ロトはソドムの門のところに座っていた。」(創19:1)「門のところ」は裁判所の役割を果たした。ロトはそこに座る町の有力者になっていた。更に、ロトの2人の娘は、不信仰な罪深い「ソドム」の男と結婚していた(創19:14)。こうしてロトは、「ソドム」にすっかり根付き、一体化してった。
ロトは、「ソドム」の罪深さを見て心を痛めていたので(Ⅱペテ2:7-8)、「ソドム」から離れ去るべきだったが、それでも「ソドム」に住み続けた。もしかしたら、自分さえしっかりしていれば大丈夫だと自信があったのかもしれない。この後、「ソドム」が滅ばされようしていた時、御使いたちロトたちに急いで逃げるよう忠告した(創19:12-13)。「しかし彼はためらっていた。すると、その人たちは彼の手と彼の妻の手と、ふたりの娘の手をつかんだ。…そして彼らを連れ出し、町の外に置いた。」(創19:16) しかし、逃げる途中、ロトの妻は後ろを「振り返ったので、塩の柱になってしまった」(創19:26)。結局、ロトは、自分の妻も財産も全て失ってしまった。ロトは、肥沃な「ヨルダンの低地」を選んだことで安心し、豊かになれると期待していたかもしれないが、全てを失ってしまった。Cf.ルカ17:33。ロトは、見た目に従って土地を選んだが、それは間違った選択だった。箴14:12。
ロトと別れた後、「アブラムはカナンの地に住んだ」(12)。そこは山地であり、荒野であり、水は乏しく、牧畜にはあまり適さない場所だった。人間的には、アブラムは、ロトに良い方を取られ、損したことになる。しかし、 主は、アブラムに祝福の約束を与えた(14-17)。第一の約束は、土地に関する約束で、「見渡しているこの地全部を、永久に」(15)与える。第二の約束は、子孫に関する約束で、「あなたの子孫を地のちりのようにならせる」(16)。信仰によって、主に従うことを選択することによって、大きな損失を被ることがあっても、損失にまさる祝福が与えられる。どんなに魅力的に見えても、いい話のように聞こえても、人間的に常識と考えられても、見た目や目先の利益に惑わされて、すぐにそれに飛びついてはいけない。それが本当に良いものなのか、主の御心なのか、よく祈り、よく考えて選択しよう。見えるところによらず、信仰によって歩もう。Ⅱコリ4:18。
Filed under: 伊藤正登牧師