20.7.5.

アブラハムは「信仰の父」と呼ばれています。なぜなら、彼は神から信仰を義(よし)と認められた最初に人だからです。私たちは、アブラハムの生涯を通して、神を信じて生きるということがどのようなことであるかを学ぶことが出来ます。

1.アブラムは主の声に従って旅立った

11:27-32には、アブラハムの背景について説明されています。アブラハムの名は、初めは「アブラム」(27)でした。妻サラの名は「サライ」(29)でした。彼らは、「カルデヤ人のウル」(28)という町に住んでいました。ウルは、偶像崇拝に満ちた町で、月神ナンナ礼拝の中心地でした。ヨシ24:2によると、テラも、そこで偶像礼拝者だったようです。しかし、テラは、息子アブラムとその妻サライ、孫のロトと一緒に、「カナンの地に行くために、カルデヤ人のウルからいっしょに出かけ」(11:31)ました。使7:2-4には、主がアブラムに「あなたの土地とあなたの親族を離れ、わたしがあなたに示す地に行け」と語りかけられたので、旅立ったことが書かれています。

これは、アブラムに「献身」を求めるものでした。自分が生まれ育った「土地」を離れ、親しい「親戚」を離れるということは、自分が慣れ親しんだ古い生活や習慣から離れるということでした。すなわち、神を認めない社会とその生き方から離れ、唯一真の神にのみ信頼し、この神と共に歩む人生に入ることを意味しました。

高齢のアブラムにとって、慣れ親しんだ土地を離れ、見知らぬ土地に行くと言うこと、また親しい家族や親戚から離れ、誰も知り合いのいない土地に行くということは、決して簡単なことではなく、大きな決断が必要とされることでした。しかし、アブラムは、主の言葉に従い、「カルデヤ人のウルから」出て行きました。聖書は、それは、「信仰によることであった」と言っています(へブ11:8)。アブラムは、主を信じ、信頼し、旅立ったのです。

2.アブラムは主の約束を信じた

アブラムたちは、カナンに行かず、途中の「ハラン」に留まってしまいました(11:31)。ハランは、ウルと同様に、偶像礼拝が盛んで、月神シン礼拝の中心地でした。そのため、偶像礼拝者の父テラがハランを気に入って、留まることになったのでしょう。主がアブラムに「親族を離れ」と言われたのに、偶像礼拝者の父テラを連れて来たので、目的地であるカナンまで行けずに、途中で留まることになってしまったのです。

しかし、アブラムに再び信仰によって歩みだす機会が訪れました。父テラが「ハランで死んだ」(11:32)時、主は、アブラムに「あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい」(12:1)と再び語りかけました。これは、最初にアブラムに語られた召命の言葉でした。主は、アブラムにもし従うなら、「わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとしよう。あなたの名は祝福となる。…地上のすべての民族は、あなたによって祝福される」(12:2-3)と祝福の約束を与えて下さいました。これは、「アブラハム契約」と呼ばれる、とても大切な主の契約です。そして、「アブラムはがお告げになったとおりに出かけた」(12:4)のです。

主は、アブラムに「大いなる国民」とすると約束されました。しかし、この時、アブラムとサライには子供はいなく、彼らは既に高齢でしたから、子供が与えられ、子孫が増え、「大いなる国民」となるということは信じられませんでした。しかし、アブラムは「あなたを祝福」するという主の約束を信じて一歩踏み出したのです。アブラムは、まだ目で見ていないことが実現すると信じたのです(Ⅱコリ4:18)。

3.アブラムは主のために祭壇を築いた

アブラムたちは、「カナンの地に」(12:5)入り、「シェケム」(12:6)まで来ました。「シェケム」は、カナンの中央にあり、そこには「カナン人」(12:6)が住んでいて、偶像礼拝が盛んに行われていました。「主がアブラムに現れ」、「あなたの子孫に、わたしはこの地を与える」と語られました(12:7)。アブラムは、自分に現れて下さり、約束を与えて下さった主に感謝したことでしょう。そして、「アブラムは自分に現れてくださった主のために、そこに祭壇を築いた」(12:7)のです。

アブラムが「カナンの地」に入って行なった第一のことは、家を建てることでもなく、畑を耕すことでもなく、「祭壇を築く」ということでした。「祭壇」は、神への供え物である犠牲をささげ、祈り、礼拝する所でした。アブラムは、「カナンの地」に入ると、まず主に祈り、礼拝をささげたのです。アブラムは、行く先々で祭壇を築きました。「彼はそこからベテルの東にある山のほうに移動して天幕を張った。西にはベテル、東にはアイがあった。彼は主のため、そこに祭壇を築き、主の御名によって祈った。」(12:8) アブラムが「祭壇」を築いた場所は、異教徒の偶像礼拝が満ちているところでした。しかし、彼は、その慣わしに影響されるのではなく、真の神への礼拝をささげたのです。

この後も、アブラムは何度も「祭壇を築き」ました。アブラムは、行く先々で、導いて下さった主に祈り、礼拝をささげたのです。日本も、異教や偶像が満ちていますが、私たちも「祭壇」を築いて、真の神に祈り、礼拝をささげるのです。日々、「主のために」、祈りと礼拝の「祭壇を築き」ましょう(箴3:6)。

 

主は、私たちにも、神を認めない、人間中心の考え方、生き方を捨てて、真の神である主を信じ、信頼し、主と共に歩む人生を送るよう招いておられます。私たちが主の御声に従って歩むなら、主は私たちを大いに祝福して下さいます。たとえ、途中で、挫折してしまうことがあっても、主は私たちを見捨てず、見放さず、私たちを導き続けて下さいます。

アブラムのように、信仰をもって主に従い、日々の生活の中で、祈りと礼拝の祭壇を築いていきましょう。