16.6.12.
アンデレのミニストリー
ヨハネ1:40
イエス様の12人の弟子の中に「アンデレ」という弟子がいました。
「アンデレ」という名前は、「男らしい」とか「雄々しい」という意味ですが、
アンデレは、ペテロのような目立った弟子ではなく、聖書の中でもあまり登場しません。
アンデレはどのような弟子だったのでしょうか。
1.アンデレの献身(キリストに対する情熱)
アンデレは、「ペテロの兄弟」であり(ヨハネ1:40)、「ベッサイダ」という町の出身で(ヨハネ1:44)、
「カペナウム」に住んでいました(マルコ1:21,29)。彼らの仕事は「漁師」でした(マルコ1:16)。
アンデレとイエス様との最初の出会いは、ヨハネ1:35-40に記されています。
アンデレは、最初、バプテスマのヨハネの弟子でした。
35節の「ふたりの弟子」の一人は、40節にあるように「アンデレ」でした。
ある時、アンデレがバプテスマのヨハネと一緒に歩いていると、
イエス様が歩いておられるのが見えました。
すると、バプテスマのヨハネは、イエス様を指差して言いました。「見よ。神の小羊。」(ヨハネ1:36)
アンデレは、イエス様が待ち望んでいた救い主キリストであることを知ると、
自分の師であるバプテスマのヨハネから離れ、イエス様の後について行きました。
39節に「その日彼らはイエスといっしょにいた」とありますが、
「イエスといっしょにいた」とは「イエスのところにとどまった」とも訳せる言葉です。
これは、アンデレがイエス様の泊まられたところに一緒に泊まったということです。
しかし、それだけではなく、その日以来、アンドレは、バプテスマのヨハネの元に戻ることなく、
イエス様の元に弟子としてとどまったということです。
アンデレは、自分の師であるバプテスマのヨハネから離れ、
イエス様の元へ行き、イエス様の弟子となることに、何の躊躇もありませんでした。
もし、アンデレがキリストに従うことよりも、人間の義理を大切にする人なら、
この決断は出来なかったでしょうし、イエス様の弟子となることはなかったでしょう。
アンデレがイエス様の弟子になるように呼ばれた時は、もう1回ありました。マルコ1:16-18。
ある時、アンデレがペテロと共に漁をしていると、そこにイエス様が来られ、声をかけられました。
「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしてあげよう。」(マルコ1:17)
「すると、すぐに、彼らは網を捨て置いて従った」(マルコ1:18)のです。
「網を捨て置いて従った」とは、自分の仕事、生きていくための支えと手段を捨てたということです。
それは、簡単なことではありません。アンデレにも養わなければならない家族もいたことでしょう。
しかし、アンデレは、何もかも捨てて、イエス様に従う弟子となったのです。
アンデレは、イエス様に従うためであるなら、人間関係でも、仕事でも手放す人だったのです。
それは、アンデレの内側に、キリストに対する燃えるような情熱があったからです。
アンデレは、大人しく、目立たないような存在でしたが、
ペテロと同じように、イエス様に対する燃えるような情熱があつたのです。
2.人をキリストに結び付ける働き
イエス様の12弟子の中で、アンデレの名前は、ペテロ、ヤコブ、ヨハネと共にあげられています。
この4人の内、アンデレ以外の弟子たちは、聖書の話の中によく登場します。
特に、イエス様は、しばしば大切な場面で、ペテロ、ヤコブ、ヨハネを連れて行動されています。
一方、アンデレは、兄弟ペテロのように、目立つような働きや活躍はしませんでした。
しかし、アンデレも大切な役割を果たしたのです。それは、人をキリストに結び付ける働きです。
① ペテロをイエス様に紹介した(ヨハネ1:41-42)
アンデレは、ペテロよりも先にイエス様をキリストと信じ、イエス様に従っていました。
そして、アンデレがペテロをイエス様の元に導いたのです。
アンデレは、イエス様に出会った後、自分の兄弟ペテロを見つけ出し、
「私たちはメシヤ(訳して言えばキリスト)に会った」(ヨハネ1:41)と言って、イエス様を紹介しました。
そして、アンデレはペテロを「イエスのもとに連れて来た」(ヨハネ1:42)のです。
ペテロは、イエス様の12弟子の中でリーダー的な存在であり、偉大な使徒であり、
初代教会においても大長老であり、エルサレム教会の柱的な存在であり、重要人物でした。
そのようなペテロをイエス様に導いたのはアンデレでした。
アンデレは、ペテロのような偉大な存在とはなりませんでしたが、
偉大な存在であるペテロが現れるために重要な役割を果たしたのです。
② 5つのパンと2匹の魚を持つ少年をイエス様に紹介した(ヨハネ6:1-14)
イエス様は多くの奇跡をなされましたが、その中でも忘れるこが出来ない大きな奇跡は、
5千人以上の群衆を5つのパンと2匹の魚だけで満腹させるという奇跡でした。
この奇跡は、あまりにも偉大な奇跡であったため、4つの福音書全部に書き記されています。
イエス様は、この奇跡によってご自身が来るべきキリストであることのしるし(証し)としました。
この偉大な奇跡で用いられたのは、
「大麦のパン五つと小さい魚を二匹」(ヨハネ6:9)を持っていた少年です。
この少年をイエス様の元に連れて来たのは、アンデレでした。
アンデレがこの少年をイエス様の元に連れて来なければ、この奇跡は起こりませんでした。
アンデレは、どうなるか分かりませんでしたが、とにかくこの少年を連れて来たのです。
アンデレは、偉大な奇跡を起こすということはありませんでしたが、
偉大な奇跡が起こるために重要な役割を果たしたのです。
アンデレは、兄弟ペテロのように、決して目立つような存在ではなく、大きな働きはしませんでした。
しかし、アンデレは、人々をイエス様に結び付けるという、重要な役割を果たしたのです。
アンデレは、自分が大きく用いられるよりも、大きく用いられる人を生み出す人でした。
私たちにとって大切なことは、目立つ存在になることでも、大きな働きをすることでもありません。
たとえ地味な存在であっても、自分の役割をしっかりと果たしていくことが大切なのです。
自分と人を比べたり、人をうらやんだり、自己卑下する必要はありません。
また、自分の知識や能力や実力を現すことよりも、
他の人の賜物が生かされ、他の人が用いられるように仕えることが大切なのです。
アンデレのように、イエス様を愛し、自分の役割をしっかりと果たしていく者となりましょう。
Filed under: 伊藤正登牧師