
2019.6.30
1.イエスによって存在を認められたシモン
イエスは、らい病人であったシモンの家に来られ、一緒に食事をされました。汚れている者(レビ13:45,46)とされ、ひとりで過ごすことも多かったシモンにとって、すごく嬉しかったに違いありません。人々は、シモンを汚れた者と見ていましたが、イエスが来られた事により「イエスが一緒に食事をされた人。」として見られるようになりました。一緒に食事をすると、特別な深い交わりを持つことが出来ます。イエスによってシモンは存在価値を認められ、イエスとの深い交わりの時間を持つことが出来ました。
イエスは、私たちも食事に招いて下さっています(黙示3:20)。イエスがシモンの所に来て下さったように、罪に汚れたこの世界に、全ての人を照らす光として来て下さったのです(ヨハネ1:9,10)。
2.イエスによって行動を認められたマリヤ
マリヤ以外の弟子たちは、イエスに十字架と死が迫っていることを悟れませんでした。もし、イエスが弟子たちに注意して下さらなければ、マリヤの行動は理解されず、香油を無駄にした。と言われて終わっていました。マルコ14:6において、「わたしのために、りっぱなことをしてくれた。」と、イエスは言われています。マリヤがイエスのためにしたことを、イエスはちゃんと分かっておられました。イエスは私たちの思いも行動も全てを知って下さっています(詩篇139:1-3)。イエスのために、自分のできることをする時、イエスは私たちの行動を認めて下さり、喜んで受け取って下さいます。イエスによって、無駄になることはひとつもありません。
イエスのために、「今」私たちができることは何でしょうか。
自分にできることで、イエスを伝えることです(第一ペテロ2:9,10)。
私たちが遣わされている場所から、イエスの光によって輝く場所へと造り変えられていきますように。マタイ5:14-16。
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