マタイ28:1-15、マルコ16:1-14
ルカ24:1-43、ヨハネ20:1-21:23

23.4.9.

イエスは、私たちを死と永遠の滅びから救うために、しかし、三日目に、イエスはよみがえったのです。

1.イエス・キリストの復活の事実

イエスの復活は本当にあったのでしょうか。イエスの復活を否定する説があります。

① 弟子たちが墓を間違えた

墓の場所は、何人もの弟子たちに確認され、何人もの弟子が間違えるはずがありません。たとえ間違っていたとしても、誰か一人位はその間違いを指摘できたはずです。

② 弟子たちが遺体を運び去って隠した

墓にはしっかりと封印がされ、数人の番兵が見張っていました。ですから、弟子たちが墓から遺体を運び出すことは不可能でした。

③ ユダヤ人指導者が遺体を運び出した

もしそうなら、弟子たちがイエスの復活を証言した時、イエスの遺体を提示して反論することが出来たでしょうが、出来ませんでした。

④ 泥棒が遺体を盗んで行った。

泥棒が盗むのは、遺体ではなく、遺体と一緒に墓に納められた副葬品です。また、墓には番兵がいましたから、遺体を盗み出すことは不可能です。

➄ イエスは死んではなく、気絶していたのであって、墓の冷気によって息を吹き返した

イエスの死は、ローマ兵によって、はっきりと確認されました。たとえ蘇生したとしても、瀕死の体で入口の大きな石を動かすことは不可能です。それに、墓を出ることが出来たとしても、そこには番兵が待ち構えているのです。

⑥ 弟子たちはイエスの幻覚を見ただけであった

イエスは、弟子たちに6週間で11回現れ、500人以上の人々の前にも現れました。そんなに大勢の人々が同じ幻覚を見ることはありません。イエスは、弟子たちに十字架での傷跡を示し、焼き魚を食べて見せました。

⑦ 弟子たちがウソをついた

弟子たちは、迫害の中でも、命がけでイエスの復活を証言し、福音を伝えました。ウソのために命をかけることはありません。そのうち本当のことを暴露するはずです。

どの説もイエスの復活を否定することは出来ません。そして、今日でも、世界中の何百万人ものクリスチャンが復活したイエスと会っています。イエス・キリストは、確かによみがえり、今も生きておられるのです。

2.イエス・キリストの復活の意義

① イエスの神性と罪の赦しが確証された

イエスが復活しなかったなら、イエスは神の御子ではなく、人間だったということです。つまり、イエスの十字架の死は、単なる人間の死であり、私たちの身代わりの死ではなかったということです。もしそうなら、イエスを信じても、罪の赦しも救いもないのです(Ⅰコリ15:17-19)。「しかし、今やキリストは、…死者の中からよみがえられました。」(Ⅰコリ15:20) 復活によって、イエスが確かに「神の御子」であることが示されたのです(ロマ1:4)。イエスが罪のない聖い「神の御子」であったということは、イエスが私たちの罪を身代わりに負うことが出来たということです。イエスの十字架の死は、確かに私たちの罪の身代わりの死であったということです。そして、イエスを信じるなら、「罪の赦しが受けられる」のです(使10:43)。さらに罪を赦された者には「永遠のいのち」が与えられます(ヨハ3:36)。

イエスの復活は、イエスの神性と信じる者の罪の赦しを確証するものなのです。

② 私たちの復活が確証された

聖書は、イエスの復活が、私たちの復活の「初穂」であったと教えています(Ⅰコリ15:20)。「眠った者」とは、「死んだ者」のことで、特に死んだクリスチャンのことです。「初穂」とは、収穫された作物の最初のもので、収穫された作物の代表です。イスラエルには、過越の祭りの3日目に「初穂の祭り」がありました(レビ23:10-14)。この祭りでは、収穫した大麦の初穂を主にささげました。それは、収穫の最初のものであり、全収穫を代表するものでした。イエスが「眠った者の初穂として死者の中からよみがえられ」たということは、イエスの復活は、私たちの復活の先駆けであったのです。イエスを信じた者は、イエスが肉体をもってよみがえられたように、よみがえるのです。私たちの復活は、イエスがこの世界に帰って来る再臨の時になされます(Ⅰテサ4:16-17)。イエスの再臨の時、私たちは新しい体をもってよみがえらされます(Ⅰコリ15:42-44,52)。その新しい体とは、復活されたイエスの体のような完全な体です。イエスの復活は、私たちの復活を確証するものなのです。

 

弟子たちは、よみがえられたイエスにお会いし、喜びに満たされました。イエスの復活は、私たちにとっても、大きな喜びであり、希望です。イエスは、復活によって、ご自身が神の御子であることを証されました。それゆえ、イエスの十字架の死は、私たちの罪の身代わりの死であり、イエスを信じる者に、罪の赦しと永遠の命が与えられるようになったのです。また、イエスの復活は、私たちが復活することの保証であり、イエスの再臨の時には、私たちは新しい栄光の体によみがえらされるのです。「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。また、生きていてわたしを信じる者は、決して死ぬことがありません」(ヨハ11:25-26)

また、復活したイエスは、弟子たちに語られました。「見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」(マタ28:20) 死を打ち破り、復活し、今も生きておられるイエスは、いつも私たちと共におられます。2千年前、偉大な奇跡をなされたイエスは、今日も私たちと共におられます(ヘブ13:8)。人生の様々な困難や問題などの中で、恐れ、不安になり、思い煩ったりします。しかし、イエスが生きておられ、共におられるから、私たちは、明日に希望をもって生きていくことが出来るのです(Ⅰペテ1:3)。

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