イエス・キリストの昇天

使徒1:3-11

21.4.18.

イエスは、復活された後、「四十日の間」この地上を歩まれ、「数多くの確かな証拠をもって、ご自分が生きていることを使徒たちに示され」ました(3)。その後、イエスと弟子たちは、「オリーブ山」(12)に行きました。すると、「イエスは彼らが見ている間に上げられ、雲に包まれて、見えなくなった」(9)のです。イエスが天に上げられたことには、3つの目的がありました。

1.神の右の座に着き執り成すため

天に上られたイエスは、父なる「神の右の座に着かれ」(マコ16:19)ました。「右の座」とは、権威を表す位置であり、王の「右の座」は、王と一緒に国を治める王子の座でした。ですから、イエスが「神の右の座に着かれた」ということは、イエスが父なる神から全ての権威を委ねられて、全世界を治める王として即位されたということなのです。イエスは、へりくだった姿でこの世界に来られ、しもべとして仕え、十字架にまで従われました。それゆえに、イエスは、全てのものを遥かに超えて高く上げられ、最高権威を授けられ、栄光を受けられたのです(エペ1:20-21)。Cf.ピリ2:6-11。これは、イエスが神の御子としての本来の姿に戻られたということでもあります。

イエスは、父なる「神の右の座」で、私たちのために日夜執り成しておられます(ロマ8:34)。私たちがイエスを救い主と信じるなら、私たちは罪を赦され、神の子とされます。しかし、救われた後も、私たちは自分の弱さや愚かさによって、失敗してしまったり、過ちを犯してしまうこともあります。そんな私たちを「告発者」である悪魔は、日夜「神の御前で訴えて」います(黙12:10)。

しかしイエスは、十字架で「父よ。彼らをお赦しください」(ルカ23:34)と祈られたように、今日も「神の右の座」で私たちのために執り成しておられます。Cf.へブ7:24-258:1-2。ですから、私たちは、信仰によって、力強く、「神に選ばれた人々を訴えるのはだれですか。神が義と認めてくださるのです」(ロマ8:33)と宣言することが出来るのです。

2.もう一人の助け主なる御霊を遣わすため

イエスは、最後の晩餐の席で、弟子たちに「わたしが去って行くことは、あなたがたにとって益なのです。それは、もしわたしが去って行かなければ、助け主があなたがたのところに来ないからです。しかし、もし行けば、わたしは助け主をあなたがたのところに遣わします」(ヨハ16:7)と言われました。この「助け主」とは、聖霊のことです(ヨハ14:16-17)。イエスは、「もうひとりの助け主」である聖霊が送られるために天に帰られたのです。

「もうひとりの」とは、「性質の異なる別のもの」という意味ではなく、「性質の同じもうひとつの」という意味です。「もうひとりの助け主」なる聖霊は、イエスと同じお方であるということです。ですから、聖霊が私たちと共におられるということは、イエスが私たちと共におられるということと同じことなのです。イエスは、「天に上げられて神の右の座に着かれ」ましたが、地上で弟子たちと「ともに働き」ましたが(マコ16:19-20)、それは聖霊の働きだったのです。

聖霊は霊ですから、場所に限定されません。聖霊は、世界中どこででも、イエスを信じる者と常に共にいて下さるのです。ですから、イエスが天に上げられ、聖霊が送られることは、私たちにとって益なのです。ですからイエスは、天に帰られる前に、弟子たちに聖霊が与えられるという「父の約束」を待ち望むようにと言われたのです(使1:4)。

3.私たちのために場所を備えるため

最後の晩餐の席で、イエスは、弟子たちに、「わたしの父の家には、住まいがたくさんあります。もしなかったら、あなたがたに言っておいたでしょう。あなたがたのために、わたしは場所を備えに行くのです」と(ヨハ14:1-2)語られました。イエスがこの世を去って、天の父なる神の元に帰られる目的は、私たちのために「父の家に」「場所を備え」るためでした。

「わたしの父の家」とは、「天国」すなわち「パラダイス」と呼ばれる死後の場所です。イエスを信じて救われている私たちクリスチャンは、肉体が死んだ後、「パラダイス」(ルカ23:43)に行きます。「パラダイス」は、「アブラハムのふところ」(ルカ16:22)とも呼ばれる「慰めの場所」です。

また、「場所を備えたら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます」(ヨハネ14:3)とは、イエスの「再臨」のことでもあります。イエスが天に上げられた時、「白い衣を着た人」(11)が二人現れて弟子たちに言いました。「あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、天に上って行かれるのをあなたがたが見たときと同じ有様で、またおいでになります。」(11) イエスは天に上られましたが、いつの日か、再びこの世界に帰って来られるのです。その時、私たちはイエスが用意した「父の家」に招き入れられます。Cf. Ⅰテサ4:16-17

再臨がいつであるかは父なる神以外誰も知らず(マタ24:36)、主は思いがけない時に帰って来られます(マタ24:42,44)。その日は、近づいています。再臨の前兆が現れています(マタ24:3-14)。ですから、私たちは、いつ主が帰って来られてもよいように、備えておかなければなりません(マタ24:36-44マコ13:32-37)。

 

イエスは、今、天の父なる神の右の座におられます。そして、私たちのために執り成しておられ、私たちに聖霊を注がれ、私たちのための場所を備えておられます。そして、いつの日か、イエスは私たちを迎えるために帰って来られます。その時まで、私たちのなすべきことは、福音を宣べ伝えることです。神は、一人でも多くの人々が救われることを願っておられます。聖霊に満たされて、福音を宣べ伝えていきましょう。