イザヤ書6:1-8
2023年7月30日
イザヤによる預言のテーマは「裁きと救い」です。イザヤの名前は「主は救う」という意味があります。イザヤは救いのメッセージを伝える預言者だったのです。
イザヤは神から3つの幻を見せられました。私たちは何を見ているでしょうか?
1.イザヤは主を見ました。
最初にイザヤが見たのは、王座に座しておられる偉大な神、王の王である神でした(1節)。これは天的な幻です。この神は聖い神でもありました。セラフィム(天使たち)が神を「聖なる、聖なる、聖なる、万軍の主。」(3節)と呼んで礼拝していました。イザヤが見た神の栄光の幻は主イエスの栄光でもありました(ヨハネ12:41)。主ご自身を見ること、これが最優先事項です。イザヤは神殿で主を見ましたが、宮は煙(神の栄光)で満たされました。教会は神の宮です。私たちも神の宮である教会で、礼拝を捧げることを通して、主と出会うことができます。これからも共に礼拝に集い、主を見上げていきましょう。
2.イザヤは自分自身を見ました。
①イザヤは神を見た後、自分を見ました。これは内面的な幻です。聖い神を見た後、自分を見て、彼は絶望しました。聖い神と比べて自分があまりにも汚れていたからです。彼は「ああ、私は、もうだめだ。」(5節)と言いました。イザヤは神に取り扱われたのです。彼は神によって砕かれ、人生が変えられました。神は砕かれている者を用いられます。主が喜ぶのは、へりくだった謙遜な心です。でも感謝なことにイザヤはだめなままで(自信を失ったままで)終わっていません。
②炭と火が出てきます(6節)。イザヤに祭壇の炭と火が触れました。炭は犠牲となられたキリストの十字架を、火は聖霊をあらわしています。カルバリーとペンテコステです。この2つを通して、神は私たちをも取り扱ってくださいます。イザヤの罪は赦されました(7節)。主イエスの十字架の血潮によって私たちの罪も赦されています。「子よ。しっかりしなさい。あなたの罪は赦された。」(マタイ9:2)
3.イザヤは世界を見ました。
最後にイザヤは滅び行く世界を見ました。これは外面的な幻です。イザヤは神の御声を聞きます。「だれを遣わそう。だれが、われわれのために行くだろう。」(8節a) 我々とは三位一体の神のことです。イザヤは神からの呼びかけに対して、「ここに、私がおります。私を遣わしてください。」(8節b)と応答しました。
主は私たちひとり一人を今いる場所(家庭、学校、職場など)へと遣わされています。またこれから新しい領域が開かれるかもしれません。主が新しい宣教の扉を開いてくださるなら、主に遣わされ、用いていただきましょう。