15.07.12

エリシャの泉

Ⅱ列王記2:19-22

預 言者エリシャはBC900年から800年ごろの北イスラエルの預言者であり、預言者エリヤの後継者でした。エリヤの2倍の奇跡を行ったとも言われていま す。そのエリシャの代表的な奇跡が、このエリコの水源のいやしです。この奇跡を学び、私たちもすばらしい心のいやしを体験しましょう。

1.心のいやしを神様に求めよう

エリコは人類史上最も古い町として有名です。長い年月をかけて町が整えられ、発展してきたことでしょう。また、交通の要所でもあり、多くの人が行き交ってい て、栄えていたと思われます。ただし、このエリコの問題は、水が悪かったということです。しかも水源の水が悪かったので、町中の水がすべて悪かったので す。そのため町の人々の間に新しい命が生まれませんでした。実が実らない町であり、将来的にはさびれゆく町だったのです。どんなに町が発展していても、内 側から湧き出る水が悪いと、その町は滅びゆくのです。

このことは私たちにも当てはめることができます。聖書では泉は心を現しています(箴言 4:23)。そして、心の中からどのようなものが出て来るかが問題なのです。私たちは、仕事や家庭などいろいろと忙しく働いているかもしれませんが、それ だけの人生では何が得られるのでしょう。たとえ財産を蓄えても、内側からわき出る思いが、不満と怒り、あるいは悲しみと嘆きであったりするなら、自分の手 の業も益をもたらさず、繁栄もありません。それどころか、周りの人々を離れさせ、自分の人生を暗くし、実が実らない人生となってしまうのです(マタイ 15:18-19)。ですから、私たちの心の中がどのような状態になっているか、注意しなければなりません。

そして、エリコの人々が神様の預言者エリシャに助けを求めたように、私たちも神様に助けを求め、心をいやしていただきましょう。神様は必ず答えて下さいます(エレミヤ33:3)。
2.古い性質を捨ててイエス様を信じよう
町の人々がエリシャに助けを求めると、エリシャはエリコの町の水をいやすために、新しい皿に塩を盛り、自分のところに持ってくるようにと言いました。
皿は器です。聖書では人は器としてたとえられています(Ⅱテモテ2:20-21)。新しい器となるためには、私たちも心を一新させることが必要です(ロー マ12:2)。心を一新させるとは、古い自分に死ぬことです。それは、自分の自己中心の古い考え方を捨て、自分の思うままに生きてきた古い生き方を捨てる ということです。

ただ新しくなって何もない状態になることだけではなく、イエス様を信じ受け入れることが大切です。新しい皿に塩が盛られた ように、イエス様を心に迎えなくてはいけません。新しい器に塩を盛るというのは、私たちを清めて下さるイエス様を信じ受け入れることです。そして、イエス 様の願いを行う者になることが大切です。イエス様の体、その各器官となって、頭であるイエス様の手足となってイエス様に仕えていくのです(Ⅰコリント 12:27)。

古い自分に死ぬことは、苦しいことですが、このようにして私たちはイエス様についてゆくことができるのです(ルカ9:23-25)。

私たちはイエス様の体、器官として、言動を通してイエス様の香りを放つような信仰生活をもちましょう。塩けをなくしてはなりません(マタイ5:13、マルコ9:50、コロサイ4:6)。
3.神様は私たちの信仰に応えていやして下さる

エリコの町の人々はエリシャの言うとおりにして、それをエリシャのところに持っていきました。するとエリシャは水源まで行き、塩を投げ込み、主のいやしを宣 言しました。そのときから完全に水は癒されたのです。しかもそのいやしは永遠に続いていて、いのちを育てる水がわき続けているのです。イエス様の下さる水 は、永遠のいのちへの水がわき出るのです(ヨハネ4:14)。そして、イエス様を信じるなら、生ける水の川が流れ出るようになるのです(ヨハネ 7:38)。

私たちもイエス様のみことば通り、古い自分に死に、イエス様を信じて生きるなら、喜びが湧き上がるようになり、人生を潤し、人々を祝福し、多くの実を実らせるようになるのです。その喜びは永遠に続くのです。