15.3.22.
エルサレムから地の果てまで
使徒1:8
この使徒1:8は「使徒の働き」のテーマであり、「使徒の働き」の構成を表しています。
そして、使徒1:8はイエス様が教えて下さった福音宣教の戦略でもあるのです。
イエス様は弟子たちに、「エルサレム」すなわち彼らの地域、
「ユダヤ」すなわち彼らの国、「サマリヤ」すなわち国内の他の文化圏、
そして「地の果て」すなわち全世界に福音を届けるようにと言われたのです。
こように、イエス様の最終的な目標は世界宣教でした。
1.全世界のあらゆる国の人々に
イエス様は救いのメッセージを「全世界」の
「あらゆる国の人々」に伝えるようにと命じられました。マルコ16:15。マタイ28:19。
しかし当時、ユダヤ人たちは、救いはユダヤ人のためだけに与えられるもので、
ユダヤ人以外の外国人である異邦人は、救いから除外されていると考えていました。
またユダヤ人たちは、異教徒であり偶像礼拝者である異邦人とは、
関わりを持たないようにしていました。
実際に、初期のエルサレム教会のユダヤ人クリスチャンたちは、
ユダヤ人以外の人々に福音を語ることはありませんでした。使徒11:19。
しかし、神様の御心は、ユダヤ人だけではなく、
全世界の人々が救われることです。Ⅰテモテ2:4。Ⅱペテロ3:9
神様がユダヤ人を特別に選ばれたのは、ユダヤ人たちだけを救うためではなく、
ユダヤ人たちを通して全世界の人々に福音が宣べ伝えられるためだったのです。
そして、イエス様が願っておられたことも、ユダヤ人だけではなく、
全世界のあらゆる国の人々が救われることであったのです。
イエス様には初めから世界宣教のビジョンと情熱があったのです。
イエス様は私たちに世界宣教の使命を託されました。
イエス様と同じような世界宣教のビジョンと情熱を持とうではありませんか。
2.目を上げて世界宣教に目を向ける
今日、自分の事だけにしか関心を持っていないクリスチャンが多いのではないでしょうか。
その人たちは自分の霊的・物質的な必要が満たされることや、
更に祝福されることは熱心に求めますが、他の人の救いや世界宣教には関心がありません。
コンサートや人生を豊かにするセミナーや恵まれる聖会などには喜んで行きますが、
世界宣教にはあまり興味が湧かないのです。
また、ある人たちは自分の信仰(生活)を守るだけで精一杯で、
世界の滅びゆく人々に福音が宣べ伝えられることにまで思いが向かいません。
そして、まず自分の問題が解決されてから考えますとか、
自分の状況が整ってから協力しますとか、色々と尤もらしい言い訳を言っているのです。
もしそのような者であるなら、ルカ10:30-36にある
「良きサマリヤ人」の例え話に登場する祭司やレビ人と同じではないでしょうか。
私たちは、自分の必要や祝福だけを求めるような自己中心な者となっていないでしょうか。
自分の生活だけに追われていたり、自分の問題だけしか目に入らなかったり、
自分の小さな世界・自分の殻の中に閉じこもってしまってはいないでしょうか。
イエス様は「目を上げて畑を見なさい」(ヨハネ4:35)と語られました。
今、私たちの目を自分の必要や問題、この世のことから切り離すのです。
そして、さらに目を高く上げて、世界宣教という広い畑を見渡すのです。
3.世界宣教のために具体的な一歩を踏み出す
宣教師として特別に召されて、実際に海外で宣教の働きをする人たちはいますが、
全ての人が宣教師としての特別な召命と賜物を受けている訳ではありません。
神様はある特定の人たちだけではなく、全ての人が世界宣教を目指し、
世界宣教の働きに携わることを願っておられるのです。
世界宣教の使命を果たしていくために自分が出来る方法を考えましょう。
① 世界宣教のために祈る
祈りは、世界宣教の使命を果たしていくために非常に重要な武器です。
そして、祈るためには世界宣教について知らなくてはなりません。
まず世界宣教にもっと関心を持ちましょう。
私たちは、祈りによって、世界宣教の働きの協力者となれるのです。Ⅰコリント1:11。
福音が速やかに広められるように祈りましょう。Ⅱテサロニケ3:1。
② 福音宣教のためにささげる
イエス様は「自分の宝は、天にたくわえなさい」と教えられました。マタイ6:20,21。
人々を天国に導くために投資することによって、天に宝を積み立てることが出来ます。
世界宣教の働きのためにささげることによって、
私たちも日本にいながにして世界宣教の働きに携わることが出来るのです。
パウロはマケドニヤの教会の献金について説明しています。Ⅱコリント8:2-4。
③ 世界宣教に出て行く
短い期間、宣教地の教会や宣教師を訪ね、その働きを視察したり、
その働きの一部に関わる機会が与えられることもあります。
世界宣教を実際に身をもって体験することによって、
世界宣教について新たに目が開かれたり、理解が深められ、
さらに世界宣教のために祈り、ささげ、協力できるようになります。
それだけではなく、自分自身の信仰も成長させられるのです。
イエス様が目ざしておられたのは、
「全世界」の「あらゆる国の人々」への宣教、世界宣教だったのです。
また聖霊の注ぎは「力を受け」て「地の果てにまで」イエス様の「証人」となるためです。
私たちが自分の必要や問題よりも外に目を向け、世界宣教のために自分をささげ、
仕えていくなら、いつの間にか自分の必要は満たされ、
問題からも解放されていることに気付くのです。ルカ6:38。使徒20:35。
神様は私たちが世界宣教に参加し、その使命達成のために献身して欲しいのです。
エルサレムから地の果てにまで、世界宣教のために立ち上がりましょう。
Filed under: 伊藤正登牧師