18.1.14.

エル・ロイ : ご覧になる神

創世16:13

聖書に啓示されている神の御名の一つは、「エル・ロイ」(ご覧になる神)です。

1.ハガルに啓示された神の御名

神は、アブラムに、子孫を「地のちりのように」(創世13:16)、
また、「天」の「星」のように(創世15:5)、数えられないほど多く与えると約束されました。
しかし、カナンの地に来て10年経っても、後継者となる子どもは与えられませんでした。
そこで、サライは、アブラムに「彼女の女奴隷のエジプト人ハガル」(3)によって、
子どもをもうけるようにと提案しました。
彼らは、神の約束の成就を待つことが出来ず、
当時一般的に行われていた方法で、神の約束を実現し、子孫を得ようとしたのです。
人間的な方法によって一時的な解決は得られても、新たな問題を起こすことになるのです。
アブラムは、サライの提案を受け入れ、ハガルは身ごもりました。
このことは、長い間、子どもが与えられなかったアブラムの一家に喜びをもたらしました。
人々は、アブラムの子どもを身ごもったハガルを称賛したことでしょう。
次第に、ハガルも高慢になり、主人であるサライを「見下げる」(4)ようになりました。
サライがアブラムに「私に対するこの横柄さは、あなたのせいです」(5)と言うと、
アブラムが「彼女をあなたの好きなようにしなさい」(6)と言ったので、
サライはハガルを「いじめ」るようになり、ハガルは逃げ出してしまったのです。
赤ちゃんを身ごもり、お腹の大きくなったハガルの荒野の旅は大変だったでしょう。
誰も知っている人はいなく、何の保証もなく、孤独で、心細かったことでしょう。
ハガルが「荒野の泉のほとり」にいた時、「主の使い」が彼女に現れました(7)。
そして、優しく「どこから来て、どこへ行くのか」(8)と問いかけ、
「あなたの女主人のもとに帰りなさい。そして、彼女のもとで身を低くしなさい」(9)と言いました。
また、御使いは、ハガルに「あなたの子孫は、わたしが大いにふやすので、
数えきれないほどになる」(10)と約束されました。
これは、アブラムに与えられた約束と同じ祝福の約束でした。
御使いの言葉は、孤独と不安を感じていたハガルをどんなに慰めたことでしょう。
ハガルは、たとえ人が見捨てても、神は見捨てる方ではないということが分かったのです。
それで、ハガルは、神を「エル・ロイ」(ご覧になる神)と呼んだのです。

2.神は見ておられる

① 見捨てることなく共におられる神
ハガルの苦しみは、ハガルの高慢な態度がもたらした結果でした。
しかし、神は、ハガルを責めたり、罰したりしませんでした。
たとえ、その苦しみや悲しみの原因がハガルの悪によることであったとしても、
神は、決してハガルを見捨てることなく、見守っておられ、
ハガルの孤独、不安、苦しみを分かっていて下さったのです。
私たちも、人生の荒野の中で、苦しみと悲しみの中、孤独を感じる時があります。
それは、自分の犯してしまった罪によることかもしれないし、
自分の悪い選択によることかもしれないし、自分の失敗によることかもしれません。
しかし、そのような時も、神は、私たちを見捨てることなく、見放すことなく、
私たちのそば近くにおられるのです。
そして、私たちの孤独、不安、苦しみを分かっていて下さるのです。詩篇94:14

② 悔い改めへと導かれる神
神は、ハガルに「あなたはそのままでいいよ」とか、
「エジプトに行って幸せになりなさい」とは言いませんでした。
「あなたの女主人のもとに帰りなさい。そして、彼女のもとで身を低くしなさい」と言われました。
すなわち、ハガルに「あなたが悪かったのだから、サライに謝りなさい」と、
「悔い改め」を促したのです。
御使いのハガルに対する「あなたはどこから来て、どこへ行くのか」という問いかけも、
「どうしてこうなったのか、これからどうするつもりなのか」という問いかけであり、
単に場所を問う質問ではなく、悔い改めを促すための言葉だったのです。Cf.創世3:9
神は、「エル・ロイ」(ご覧になる神)であり、全てを見ておられ、知っておられます。
誰も見ていないようでも、神から隠れたり、神に何かを隠したりは出来ません。
「エル・ロイ」(ご覧になる神)は、私たちを悔い改めへと導かれる神なのです。黙示2:5。

③ 現実に立ち向かう勇気を与える神
ハガルは、女主人のいじめを避けて、その苦しみから逃げるため、家出しました。
しかし、「エル・ロイ」(ご覧になる神)は、「あなたの女主人のもとに帰りなさい。
そして、彼女のもとで身を低くしなさい」と言いました。
ハガルは、様々な苦しみが待っている場所、自分が逃げて来た場所に帰る決心をし、
再び、サライの元へと帰って行きました。
私たちの人生にも、様々な苦しみや悲しみがあり、その中で生きることは大変なことです。
ですから、誰にでもその現実の苦しみや悲しみから逃げたいという気持ちがあります。
現実逃避は簡単な方法かもしれませんが、現実逃避しても、何も問題は解決しないのです。
私たちに必要なことは、苦しく悲しい現実があっても、
そこから逃げずに、その中でも力強く生きていく力なのです。
その力は、「エル・ロイ」(ご覧になる神)に信頼することから生まれるのです。
現実の中で、私たちを見守っておられる神を知る時に、
再びその現実の中に戻って行く勇気と力が与えられるのです。申命31:8

私たちも人生の荒野を通る時があります。
もしかしたら、それは自分がもたらした結果であるかもしれません。
しかし、「エル・ロイ」(ご覧になる神)は、いつもあなたを見ておられ、
あなたに近づき、あなたの傍らにおられます。
もし、悔い改めるべきことがあるなら、へりくだって悔い改めましょう。
また、現実を恐れることなく、逃げることなく、力強く人生を歩んで行きましょう。

Filed under: 主の御名伊藤正登牧師