17.2.26.
キリストが形造られるように
ガラテヤ4:19
クリスチャンとして、霊的に成長しているということは、どういうことでしょうか。
1.霊的成長とはキリストに似た者になるということ
クリスチャンとして、霊的に成長しているということは、
私たちがどれだけ実を結んでいるかということです。
その実は、「御霊の実」と呼ばれています。ガラテヤ5:22,23。
これらの「御霊の実」は、「キリストの品性の実」であり「キリスト性質」を表すものです。
ですから、私たちが「御霊の実」を結ぶということは、
「キリストの品性と性質」を身に着けるということであり、
私たちが「キリストに似た者」になるということです。
「キリストに似た者」になるということが、
クリスチャンとして霊的に成長した者となるということなのです。
エペソ4:13には、「キリストの満ち満ちた身たけにまで達する」とあります。
パウロはガラテヤ4:19で「私の子どもたちよ。あなたがたのうちにキリストが形造られるまで、
私は再び産みの苦しみをしています」と言っています。
クリスチャンの内面的な変革こそが、霊的成長なのです。
実を見れば、その木がどのような木であるか分かります。
同じように、その人がどのような実を結んでいるかを見れば、
その人がどのような人であるのかが分かります。
私たちは、どのような実を結んでいるでしょうか。
2.キリストに似た者となるために
① 御霊の働き
「キリストに似た者」となるには、自分の意思の力や努力だけでは不可能です。
それは、「御霊なる主の働きによる」ことなのです。Ⅱコリント3:18。
私たちは、「御霊の働き」によつて、「主と同じかたちに姿を変えられて行きます」。
しかし、私たちがやらなければならない分もあります。
それは、私たちが主を仰ぎ、主を求め、主に近づくということです。Ⅱコリント3:16。
心を主に向け、主を慕い求め、主に近づくということは、主を礼拝するこということです。
私たちが真心から主を礼拝する時、そこに主の臨在が現わされます。
そして、私たちは、主の臨在の中で、聖霊に満たされ、聖霊の取り扱いによって、
キリストに似た者へと造り変えられるのです。
そのように、主との霊的な交わりの中に留まることによって、
私たちはキリストの品性と性質を表す実を結ぶことが出来るのです。ヨハネ15:4,5。
② この世の型にはまらない
ローマ12:2で、「この世と調子を合わせてはいけません」と言われています。
これは「この世の型に押し込まれてはいけません」という意味です。
「この世の型」とは、この世の考え方(価値観)、生き方などです。
それは、神様を認めない、御言葉に反する考え方(価値観)、生き方、習慣などです。
「この世の型」、つまりこの世の考え方(価値観)、生き方という「型」に押し込められると、
この世の人たちと同じような、神様を無視した考え方(価値観)を持ち、
この世の人たちと同じような、御言葉に反した生き方をするようになるのです。
私たちは何の「型」に入っているでしょうか。キリストの「型」に入っているでしょうか。
イエス様を信じて、救われ、神の子とされ、クリスチャンとなっても、
「この世の型」、すなわちこの世の考え方(価値観)、
この世の生き方という「型」に押し込められたままの人は、
当然「キリストに似た者」となることは出来ません。霊的に成長出来ないのです。
ですから、私たちは「この世の型に押し込まれない」ようにしなければなりません。
③ 心の一新
またローマ12:2には「心の一新によって自分を変えなさい」と教えています。
この「変える」という動詞は、
ギリシヤ語では、動物の変態を表現する「メタモルフォーシス」が使われています。
(「変態」=形や状態を買えること)
英語では「transform」(変形、変化させられる)という言葉が使われています。
つまり、「自分を変えられる」とは、「全く違った形に造り変えられる」ということです。
Ⅱコリント3:18の「主と同じかたちに姿を変えられて行きます」の「変えられ」と同じです。
私たちは、「この世の型に押し込まれない」、「全く違った形に造り変えられる」、
すなわち「キリストに似た者」に変えられなければなりません。
そして、「全く違った形」すなわち「キリストに似た者」に「造り変えられる」のは、
「心の一新によって」であると聖書は教えています。
この「心」とは、「思い」(mind)すなわち「考え方」のことです。
私たちの行動を決めるのは「考え方」です。「考え方」が変われば、生き方も変わります。
私たちの「考え方」を新しくするとは、
主の御言葉と御心を基準にした「考え方」を持つということです。
ですからローマ12:2では、「神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、
神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために」と言われています。
「イエス様だったらどうするだろう」という基準に従って考えるのです。
このような「考え方」、「心の一新によって」を持つことによって、
「全く違った形」すなわち「キリストに似た者」に「造り変えられる」のです。
私たちの内にあるものが外に表れてきます。マタイ12:25。
私たちの中に「キリストが形造られ」ているなら、キリストが表れて来るはずです。
主との親しい交わりを持ち、「御霊の実」を結ばせ、「キリストの品性と性質」を身に着け、
「この世の型」に押し込まれず、「心」すなわち「考え方」を「一新」し、
「主と同じかたち」、「キリストに似た者」に造り変えられていきましょう。
「キリストの満ち満ちた身たけにまで達」し、「キリストが形造られ」ましょう。
Filed under: 伊藤正登牧師