ピリピ 2:1、エペソ 1:20-23

1. 「キリストにあってこそ意義がある

クリスチャンとはイエスに従って歩む人たちですが、さまざまな働きや文化や知識などに傾倒することもあります。しかし、どのようなことも、キリストにあって意味をなすものです。 「励まし、 愛の慰め、 御霊の交わり、 愛情とあわれみがある」ということにクリスチャンは喜びを感じます(ピリ2:1)。 しかし、 「キリストにあって」と書いてあります。 私たちが様々な活動をしても、私たちが 「キリストにある」のでなければ意味がないのです。

2.教会にはキリストが満ちている

驚いたときに、 「ジーザス・クライスト!」と叫ぶ人もいますが、単にキリストを知っているだけでは意味がありません。 キリストにすべてをささげ、 キリストの御心を求め、従うことが 「キリストにあって」と言えるのではないでしょうか。

キリストは人として地上で私たちとともに生きてくださった神であり、私たちの贖いを成し遂げ、天に帰りすべてをご支配しておられます。 キリストこそ神の御言葉の現れです (エペ 1:20-22)。 神はキリストを教会に与えられました。 教会はキリストの体です。 すべてを満たす方です。 今、世界にはいろいろなタイプの教会がありますが、良い神の満ち満ちているのが教会です (エペ 1:23)。

3. キリストの満ち満ちた教会でともに生きる

ですから「キリストにあって」 生きるためには、キリストの満ち満ちた教会に生きることが必要なのです。 ですから、私たちは日本と世界の諸教会が、 「主が満ち満ちておられる教会」となるように祈っていきましょう。

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