17.7.2.

キリストの姿に変えられて主の栄光を表す

Ⅱコリント3:16-18

私たちは、「ぶどうの木」であるイエス様にとどまることにより、
「多くの実」を結び、父なる神様の「栄光」を表すことが出来ます。ヨハネ15:1-8

1.人間は神様の栄光を表す「神のかたち」に造られた

私たちの人生の目的は、神様の栄光を表すということです。
それは、神様がどんなに素晴らしいお方であるかるかを表すことです。
私たちは、神様の栄光、素晴らしさを現すために造られました。詩篇8:5イザヤ43:7
それは、人間が神様ご自身のかたちに、ご自身に似せて造られたからです。創世記1:26,27
「神のかたち」とは、神様の外見的な姿形という意味ではありません。
神様のイメージ、すなわち「神様に似た性質」を持つ者として造られたということです。
私たち人間は、神様の知恵、愛、力など、
神様の素晴らしさを鏡のように映し出す存在として造られたのです。
しかし、今日、人間は、神様の栄光を表していません。
それは、人間が神様に背いて罪を犯し、神様から離れてしまったからです。
「罪」とは、ギリシヤ語では「ハマルティア」と言い、神様から的を外すことです。
人間は、神様中心ではなく、自己中心な生き方をするようになってしまいました。
そのため、神様の素晴らしさを表すことが出来なくなってしまったのです。ローマ3:23
ちょうど鏡に泥が塗られて、何も映し出すことができなくなったように、
人間は罪のために、神様の素晴らしさを現すことが出来なくなってしまいました。

2.キリストによって「神のかたち」が回復される

罪のために失われてしまった「神のかたち」は、キリストによって回復されます。
イエス・キリストは、「神のかたち」の完全な表れであり、
神様の栄光を完全に表す唯一の方です。コロサイ1:15、2:9
なぜなら、イエス様は、人の姿をとって来られた神様ご自身だからです。
イエス様は、目に見えない神様を表すために、人の姿となって来て下さいました。
ですから、イエス様は「わたしを見た者は、父を見たのです」(ヨハネ14:9)と言われました。
しかし、イエス様は、十字架にかかり、惨たらしい死を遂げられました。
「キリストは、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれ」(Ⅰコリント15:3)たのです。
また、イエス様は、私たちが神様の栄光のために生きる者となるために、
十字架にかかり、死んで、よみがえって下さったのです。Ⅱコリント5:15
私たちが悔い改め(方向転換)、イエス様を信じる時、
私たちと神様との関係は修復され、神様との交わりが回復されます。
そして、神様の霊である聖霊が私たちの内に来られ、
私たちを新しく生まれ変わらせて下さるのです。ヨハネ3:5テトス3:5Ⅱコリント5:17
私たちは、キリストによって、神様の栄光を現すべき「神のかたち」に回復されるのです。

3.聖霊によって「キリストに似た者」へと変えられていく

キリストによって、「神のかたち」に回復された私たちは、
神様の栄光を現すべき「神のかたち」へと、更に造り変えられていかなくてはなりません。
「神のかたち」に造り変えられるということは、
「神のかたち」の完全な表れである「キリストに似た者」となるということです。
それは、キリストの品性である「御霊の実」を結ぶということです。ガラテヤ5:22,23
私たちが「御霊の実」を結ぶようになり、「キリストに似た者」となり、
更に「神のかたち」へと変えられることによって、生活が変わり、人生が変わり、
神様の栄光を表す者となることが出来るようになるのです。
私たちが「キリストに似た者」に変えられて行くということは、
私たちの外側からではなく、内側から始まることです。
どんなに外側だけ「キリストに似た者」に見せかけても、それは本物ではありませんから、
何か問題や試練の時には、そのメッキは剥がれてしまいます。
また、自分の意志や努力も必要ですが、それでは十分ではありません。
私たちの意志の力は弱く、すぐに気持ちは折れてしまい、努力も長続きしません。
「御霊なる主の働き」によって「キリストに似た者」に変えられていきます。Ⅱコリント3:18

4.私たちの心を主に向ける

私たちが「キリストに似た者」となるためには、
「人が主に向くなら」とあるように、私たちの「心を主に向ける」ということが必要です。
私たちの生活には、「立ち止まる」時、「一時停止」する時が必要です。
それは、まず一週間に一度、日曜日に、教会で持たれている「礼拝」です。
月曜日から土曜日まで、この世の中で、この世の働きに従事し、
日曜日には、この世の事柄から離れ、神様の元に行きます。出エジプト20:8-11
そして、「心を主に向け」、賛美をもって神様に近づき、神様の臨在に満たされ、
神様の御言葉を聞き、神様からの恵みと新しい力を受けて、再び世に出て行くのです。
礼拝によって「renewal」(再生)され、「refresh」(元気を回復)されるのです。イザヤ40:31
また、一日の中でも、「立ち止まる」時、「一時停止」する時、
神様を礼拝する時を持ちます。それが、日々の「ディボーション」の時です。
私たちは、神様を礼拝するように造られており、
神様を礼拝することによって、生きるように造られているのです。
主を求め、主の臨在、すなわち聖霊との交わりに入っていくということが必要です。
Ⅱコリント13:13は祝祷の言葉ですが、これは、「主イエス・キリストの恵み」と
「神の愛」が、「聖霊の交わり」によってあるように、ということでもあります。
私たちは、聖霊との交わりの中で、「キリストに似た者」へと造り変えられます。

私たちの「心を主に向け」、聖霊との親しい交わりを持ち、力と助けを頂きましょう。
そのようにして、「神のかたち」、「キリストに似た者」へと変えられていくのです。
そして、「多くの実」を結ぶことによって、神様の「栄光」を表すことが出来るのです。
さらに聖霊によって、「栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて」いきましょう。
「新しい人は、造り主のかたちに似せられてますます新しくされ」(コロサイ3:9)ます。

Filed under: 伊藤正登牧師