19.12.22.

キリストは、「ベツレヘム」で産まれ、「飼葉おけ」に寝かされました。そして、キリスト誕生の知らせは、「羊飼い」たちに知らされました。これらのことには、どのような意味があったのでしょうか。

1.キリストはベツレヘムで産まれた

キリストが誕生した年は、ローマ「皇帝アウグスト」が「全世界の住民登録をせよ」と命令した年でした(1)。それはBC6,7年頃と言われています。この命令に従って、人々は「住民登録」をするために、自分の出身地へと向かいました。この時、ヨセフは「ガリラヤの町ナザレ」(4)に住んでいましたが、彼も「ダビデの家系」であったので、出身地「ユダヤのベツレヘム」へと向かいました(4)。妊娠中であったヨセフの婚約者マリヤも一緒に行きました(5)。ナザレからベツレヘムまでは約120kmあり、身重のマリヤとの旅は大変だったでしょう。

ヨセフとマリヤがベツレヘムに行かなければならなかったのは、単に「皇帝アウグスト」による「住民登録」の命令があったからではありません。キリストがベツレヘムで誕生することは、旧約聖書で預言されていたことだったからです。「ベツレヘム・エフラテよ。あなたはユダの氏族の中で最も小さいものだが、あなたのうちから、わたしのために、イスラエルの支配者になる者が出る。その出ることは、昔から、永遠の昔からの定めである。」(ミカ5:2) 「皇帝アウグスト」の「住民登録」の命令は、キリストがベツレヘムで生まれるという旧約聖書の預言を成就させるものとなったのです。

もし、「皇帝アウグスト」の命令がなければ、彼らはベツレヘムへと行かなかったでしょう。マリヤがナザレでイエスを出産していたら、旧約聖書の預言は実現しなかったでしょう。ベツレヘムでのキリストの誕生は、旧約聖書の預言の成就であったのです。すなわち、イエスは旧約聖書に預言されていたキリストであるといことです。預言の成就のために用いられたのは、異邦人であり異教徒である「皇帝アウグスト」でした。神は、この世界と歴史を支配し、その背後に働いておられます。そして、この世界の様々な人や出来事を用いて、ご自身のご計画を実現されるのです。

2.キリストは飼葉おけに寝かされた

ベツレヘムには、「彼らのいる場所がなかった」(7)とあります。ベツレヘムは、「住民登録」のためにやって来た人々でごった返していたことでしょう。そこでキリストは、「布にくる」まれて「飼葉おけに寝かされた」(7)とあります。このことから、キリストは「家畜小屋」で産まれたと考えられます。家畜小屋と言っても、木造で藁葺き屋根の馬小屋ではなく、岩を掘って作った洞窟でした。イエスが寝かされた「飼葉おけ」も、石をくり貫いて作られたものでした。

「キリスト」とは「油注がれた者」という意味で、「王」を指す言葉です。ですから、「イエス・キリスト」とは、イエスが王であるということです。しかし、イエス・キリストは、立派な宮廷ではなく、暗く汚く臭い家畜小屋に生まれ、柔らかいフワフワのベッドではなく、藁がチクチク刺す「飼葉おけ」に寝かされたのです。これは、「キリストのへりくだり」を表しています。

キリストは神であられるのに、人間の姿となって来られたのです(ピリ2:6-8)。いと高き天におられるお方が、この地上にまで下って来て下さいました。何の汚れもない聖なるお方が、罪に汚れたこの世界に来て下さいました。霊なるお方が、私たちと同じ肉体をとって来て下さいました。神であられるキリストが家畜小屋に生まれ、「飼葉おけ」に寝かされたのです。それは、私たちを滅びから救うために、十字架にかかって死ぬためでした(ヘブ2:14-15)。キリストが洞窟の家畜小屋に生まれ、布にくるまれ、石の「飼葉おけ」に寝かされたことは、イエスの死を暗示するものでもありました。イエスは、十字架にかかって亡くなられた後、布にくるまれ、岩を掘って作った洞窟の墓に入れられ、石の棺に寝かされたのです。

3.キリストの誕生は羊飼いたちに知らされた

キリストが生まれたその晩、ベツレヘムの野原では、「羊飼いたちが、野宿で夜番をしながら羊の群れを見守って」(8)いました。すると「羊飼いたち」の前に、御使いが現れて、キリストの誕生を告げました(11-12)。「羊飼いたち」は、当時、社会の底辺にいた貧しい人たちでした。「羊飼いたち」は、生き物を飼っていたため、安息日を守るなど、ユダヤ教の様々な律法を守ることが出来ませんでした。そのため、「羊飼いたち」は、罪人と同じように見られていました。彼らは、人々から見下され、軽蔑され、社会的に差別されていました。「羊飼いたち」の言うことは信用されず、裁判の証言も許されませんでした。しかし、神は、このような「羊飼いたち」に、最初にキリストの誕生を知らせたのです。

なぜ、神は、もっと社会的に影響力のある人たち、政治家や宗教的指導者、有名な人、お金持ちに伝えられなかったのでしょうか。この「羊飼いたち」は、私たち「罪人」の代表であり、「愚かな者」、「弱い者」、「取るに足りない者」、「見下されている者」の代表でもありました。神は、「この世の知恵ある者」、「強い者」、「権力者」、「身分の高い者」ではなく、「愚かな者」、「弱い者」、「取るに足りない者」、「見下されている者」を選ばれたのです(Ⅰコリ1:26-29)。キリストの誕生が最初に「羊飼いたち」に知らされたのは、キリストが「罪人」を救うために来られたことを示すためだったのです。キリストは、「罪人」を救うために来られました(マタ9:13、ルカ19:10、Ⅰテモ1:5)。

 

「羊飼いたち」は、「急いで行って、…飼葉おけに寝ておられるみどりごとを捜し当てた」のです。そして、「羊飼いたち」は、「神をあがめ、賛美しながら帰って」(20)行きました。キリストは、私たち罪人を救うためにお生まれになりました。私たちも、「羊飼いたち」のように、キリストの元に行こうではありませんか。そして、キリストを送って下さった神を共に「あがめ、賛美」しようではありませんか。