創世記18:1-15、21:1-7
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聖書にある神の言葉は、常識的に考えてありえないと考えてしまうことが多いのです。そんなとき、どうしたらよいのでしょうか。サラの信仰を学びましょう。
1.主の御言葉はありえないようなことでも実現する
サラはアブラハムの妻であり、いつもアブラハムとともに歩み、従ってきました(Ⅰペテロ3:6)。ある日、3人の旅人がアブラハムのところに来ました。そのうち1人は主でした(創世記18:1、13、14、22ほか)。アブラハムは彼らを見て、ただの旅人ではないことを悟り、引き留め、おいしい食事を与えて彼らをもてなしました。すると、彼らの一人がサラに子供が生まれると言いました。しかし、アブラハムはこのとき99歳で、サラは89歳でした(創世記21:5、17:17)。サラは「子供が生まれる」と聞いて、心の中で笑い、「自分も夫も老いぼれたので子どもが生まれるはずがない」と言いました。しかし、主がサラの心の中の言葉も読み取って、「なぜ笑うのか」と責めました。サラはすぐに笑ったことを否定しましたが、主は「確かに笑った」と言いました。しかし、その神の言葉は実現したのです(創世記21:1-7)。
神の言葉を聞いて、信じないで笑うのはよくありません。素直に信じなければなりません。しかし、常識を超えるようなことを言われたら、信じられず、つい笑ってしまうものなのです。夫アブラハムも同じことで笑ってしまいました(創世記17:17)。神に不可能はありません(創世記18:14、ルカ1:37)。そればかりか、主はあえて私たちが思いもよらないことをなされます(Ⅰコリント2:9)。主は不思議な御業でご自身の栄光を現わされるのです。
2.主の御言葉を信じないなら祝福とならない
聖書には、主の御言葉を信じない者は、主の御言葉の実現を体験できない、神の栄光を見ることができないという例がいくつかあります。サラは子供が生まれることを主によって何度も聞かされていました(創世記12:2、7、15:4-5、18)。サラは、神が自分に子供が生まれないようにしていると思っていました(創世記16:2)。サラが笑ったのは、老人が子供を産むなどはあり得ないと確信していたからです(創世記18:12)。
サラが不信仰だったので、子供が生まれるという御言葉が奴隷のハガイに実現してしまいました(創世記16:2-4)。しかし、それは神の御心ではありませんでした。
神の言葉は、信じる者の上に実現します。信じないなら、神の約束はその者に実現しないのです。信じないなら祝福されないのです。
3.心を入れ替えて主の御言葉を信じる
サラが神の言葉を聞いて笑った時、神は「なぜ笑うのか」とサラの不信仰を咎められました(創世記18:13-14)。サラは怖くて自分の笑いを否定しましたが、神に受け入れられませんでした(創世記18:15)。
しかし、この時から、サラは心を入れ替えました。彼女は本気で神の言葉を信じるようになりました(ヘブル11:11-12)。神はサラが本気で信じているのを見て、彼女の上に御言葉を実現されました(創世記21:1-2)。神はサラの不信仰の笑いを、感謝と喜びの笑いに変えてしまったのです(創世記21:6-7 )。
私たちも、常識を超えるようなことを信じる大きな信仰がないかもしれません。しかし、それでは神の大きな約束を見ることができないのです。いつまでも常識の範囲内でしか信仰をもてないなら、常識を超える神の御言葉が実現しません。サラが心を入れ替えて、本気で信じたように、私たちも心を入れ替えて、神に不可能はないと、御言葉を本気で信じることが大切です(ヘブル11:6)。
まとめ
私たちは、とても信じられないような神の言葉を聞いたとき、つい常識的に考えて不信仰なことを考えたり言ったりしてしまいます。しかし、その時、もう一度、神がデタラメを言うような方かどうかを考えてみましょう。そして神を真実な方と考えるなら、神の御言葉を信じましょう。その時それは信じる者の上に実現するのです。神は御言葉を実現させて、私たちを祝福してくださいます。
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