21.1.10

「アルタシャスタ王」(1)の許可を得たネヘミヤは、「川向こうの総督たち」に「王の手紙」(9)を渡し、エルサレムへと向かいました。また「王」は、ネヘミヤに護衛として「将校たちと騎兵」(9)を伴わせてくれました。こうして、ネヘミヤはエルサレムに到着したが、城壁の再建に取り掛からなければなりません。ネヘミヤは、どのようにして城壁再建を始めたのでしょう。

1.密かに城壁を調査する

「あるとき」、ネヘミヤは「夜中に起き」ました(12)。その時、他にも「数人の者もいっしょに」いて、彼らも起きました(12)。そして、ネヘミヤは、彼らを連れて、密かに、城壁の状態の調査に出ました。エルサレムの城壁を再建するためには、工事を始める前に調査が必要です。実際に、現場に行き、目で見て、状況を確認しておかなければ、工事の計画も立てられませんし、工事を効率良く、組織的に進めることも出来ません。

この時、ネヘミヤは、「獣」(12)おそらくロバに乗り、他の者たちは徒歩で進みました。ネヘミヤは、エルサレムの外壁に沿って調査を始めました(13-15)。おそらく城壁は、ネヘミヤが思っていた以上に酷い状態になっていたことでしょう。ところで、ネヘミヤは、「ユダヤ人にも、祭司たちにも、おもだった人たちにも、代表者たちにも、その他工事をする者たちにも、まだ知らせて」(16)いませんでした。ですから、「代表者たちは」、ネヘミヤが「どこへ行ったか、」「何をしていたか」(16)知りませんでした。Cf. 12。なぜ、ネヘミヤは、誰にも何も知らせずに、密かに調査をしたのでしょうか。それは、「ホロン人サヌバラテ」や「アモン人で役人のトビヤ」(10)などの敵対者に城壁再建の計画が知られて、工事が妨害されないようにするためでした。

ネヘミヤは、祈りの人であり、信仰の人でした。しかし、祈りつつも、しっかりと現実を見て、適切に現実に対処する人だったのです。祈りとは、現実を無視して、非常識な行動に出ることではありません。しっかりと現実を見て、それにどう適切に対処したら良いか、主の知恵を求め、注意深さや配慮をもって、適切な行動に出ることです。また、現実ばかりを見て、現実に振り回されないためにも、祈りが必要なのです。

2.人々を城壁再建へ動員する

ネヘミヤは、どのようにユダヤ人たちを城壁の再建へと励ましたのでしょうか。

① 現状を認識させて問題意識を持たせる

ネヘミヤは、ユダヤ人たちに「あなたがたは、私たちの当面している困難を見ている。エルサレムは廃墟となり、その門は火で焼き払われたままである」(17)と言いました。このことは、ユダヤ人が誰もが見ていること、知っていること、当然のことでした。しかし、それが日常の光景となり、当たり前のこととなり過ぎてしまっていました。ユダヤ人たちは、もう何十年もの間、城壁が壊れたままの状態で生活して来ました。本来は異常なことですが、そこに何の問題も感じなくなってしまっていたのです。ユダヤ人たちの中には、現状維持を望む人たちもいたかもしれません。ですから、改めて、現状を正しく認識し、問題意識を持たせることが必要だったのです。人間は、どんな状況にも適応出来ますが、それが逆に問題意識を失わせてしまいます。ですから、改めて現状を正しく認識し、問題意識を持つことが大切なのです。

② ビジョン(目標)を示す

次に、ネヘミヤは、ユダヤ人たちに「さあ、エルサレムの城壁を建て直し、もうこれ以上そしりを受けないようにしよう」(17)と声をかけました。これを聞いた時、ユダヤ人たちは心に「エルサレムの城壁」の姿を思い浮かべられました。箴29:18には「幻がなければ、民はほしいままにふるまう」とあります。「幻」すなわちビジョンがないと、何をしていいか分からず、その時の気分や、周りの流れに合わせて行動し、結局何も成し遂げられません。この「幻」(ハーゾーン)は、「神から受けた啓示」を意味しています。ですから、「幻」(ビジョン)というのは、自分勝手な夢や希望、目標ではなく、神から与えられた、神が示された「幻」(ビジョン)ということです。エルサレムのユダヤ人たちには、他にも多くの問題や必要があったことでしょう。しかしネヘミヤは、城壁再建という一点に絞って、その明確なビジョンを示したのです。

③ 神の導きを証する

最後に、ネヘミヤは、「恵みを下さった私の神の御手のこと、また、王が私に話したことば」(18)を語りました。ユダヤ人たちは、現状を認識させられ、城壁再建が必要であることが分かりました。明確なビジョンを示されて、将来への夢や希望を抱くことが出来ました。しかし、本当にそのような大事業が出来るのか、疑いや不安があったかもしれません。そんな彼らに、ネヘミヤは、「恵みを下さった私の神の御手のこと」を語りました。「神の御手のこと」とは、「神の導き」のことです。それは、8節で、「神の恵みの御手」と呼ばれていることでした。ネヘミヤは、これまで神がどのように導いて、「恵みを下さった」かを話しました。神が働き、導いて下さったという力強い証は、ユダヤ人たちに大きな感動を与えました。ユダヤ人たちは、エルサレムの城壁再建が神の御心によることであると確信出来ました。

 

ネヘミヤの言葉を聞いたユダヤ人たちは、「さあ、再建に取りかかろう」と言って、城壁再建という「良い仕事に着手」するようになりました(18)。しかし、「ホロン人サヌバラテ」、「アモン人で役人のトビヤ」、「アラブ人ゲシェム」は、ユダヤ人たちを「あざけり」、「さげすんで」、悪く言いました(19)。彼らは、ユダヤ人たちの気持ちをくじこうとしたのです。主の働きがなされようとする時、敵は私たちの気持ちをくじこうとして、様々なネガティブなことに私たちの気持ちを向けさせます。しかし、ネヘミヤは、彼らに「天の神ご自身が、私たちを成功させてくだる。だから、そのしもべである私たちは、再建に取りかかっているのだ」(20)と言い返しました。私たちも、揺るがない確信をもって、主の働きに進んでいきましょう(Ⅰコリ15:58)。