出エジプト3:1-15
260125
私たちの信じる神は三位一体の神です。父なる神、子なる神、聖霊なる神、3つの位格があり、一つなのです。今日はモーセの召命の話から、父なる神について学びましょう。
1.柴の中におられる神
モーセは荒野で不思議な光景を見ました。モーセが羊を飼いながら、神の山ホレブにやってくると、ホレブの山の柴の茂みの中に火の炎があるのに気づきました。ここに神の御使いが降りてこられ、神の言葉を語られたのです。この柴というのは、茨などの低木の茂みです。柴の中に火があったのに、柴は燃え尽きませんでした。モーセがその燃える柴に近づくと、燃える柴の中から神がモーセを呼ばれました。
ホレブの山はシナイ山とも呼ばれていますが、この柴はヘブライ語でセネーと言い、シナイと同じ言葉から来ています。セネーがある山ということでシナイ山と呼ばれたのかもしれません。そこは聖なる場所であり、後に神はこの山でモーセに律法を授けます。
神はそびえ立つ立派な木々の中におられたのではなく、低木の茂みの中におられました。これはまるで教会に主がおられるようです。この世の闇の中で、イエスを信じて集まる人々の中に主がおられるのと同じです。一人ひとりは小さく弱い存在ですが、主の御名によって集まっているところに、そこに主がおられるのです。
2.アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神
神は「わたしは、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神」と言われました。神は世界の人々を造られましたが、アブラハムだけを選び、祝福の契約を結びました。
さらに、アブラハムには女奴隷ハガルによってイシュマエルが生まれ、妻サラによってイサクが生まれました。その後、そばめケトラによって6人の息子も生まれました(創25:1-2)。イサク以外のアブラハムの子孫はイスラエル周辺の諸民族となり諸国となりました。しかし、アブラハムの祝福を受け継いだのはイサクだけなのです。聖書の神はイサクの神であり、他の民族の神ではないのです。
さらに、イサクには妻リベカとの間にエサウとヤコブが生まれました。そして、アブラハムの祝福を受け継いだのはヤコブです。ですから、聖書の神はエサウの神ではなく、ヤコブの神なのです。ヤコブの神はイスラエルの神です。つまり、ユダヤ人の神です。世界にはアブラハムの子孫はたくさんいますが、聖書の神はイスラエルの神であり、ユダヤ人の神なのです。日本人もそうですが、異邦人は聖書の神からの祝福を受け継いではいないのです。神は異邦人の神ではないのです。しかし、後に、ヤコブの子ユダの子孫からイエスが生まれます。異邦人もイエスを信じることでアブラハムの子孫となり、相続人となれます(ガラテヤ3:7, 29)。つまり、まことの神は、ユダヤ人の神であり、クリスチャンの神なのです。
ところで、ユダヤ人にはモーセを通して律法が与えられましたが、律法を完全に守りきれませんでした。しかも神の子イエスを十字架につけてしまいました。そのためユダヤ人であっても、そのままでは祝福を受け継ぐことはできませんが、イエスを信じるなら全ての罪は赦され、神の祝福を受け継ぐことができます(ローマ3:20-24、ガラテヤ2:16)。つまり、ユダヤ人も異邦人も、イエスを通してのみ、神の民となれるのです。イエス・キリストを信じることだけが唯一神に近づく道なのです(ヨハネ14:6、エペソ3:12)。
3.「わたしはある」というお方
神は「わたしは『わたしはある』という者である」と言われました(出3:14)。このことばからYHWH(アドナイ)として書き記されるようになりました。神は永遠の昔から、今も、そして永遠の未来にも存在し続けるお方です(イザヤ9:6、40:28-31)。まことの神以外に神はいないのです(イザヤ44:6、46:9)。すべてのものは神によって造られ、永遠におられる方は聖書に記されたまことの神だけなのです。
また、全てのものは、何かに依存して存在し、すべてのものは神によって存在し続けることができるのです(Ⅰコリント8:6)。しかし、神は何にも依存しないで存在できるのです。このような偉大な神が聖書の神です(イザヤ45:5, 46:9)。
まとめ
聖書の神はイスラエル民族の神ですが、私たち異邦人もイエスを信じることで、この神の民になれるのです。ユダヤ人も同様にイエスを信じることで、神の祝福を受け継ぐことができるのです。この神は何にも依存しないで存在し続けるお方で、唯一のまことの神です。
この神が滅びゆく人々を救いたいと願っておられます。そのために、神は私たちに呼びかけ、遣わそうとしています。私たちは神の呼びかけに応答し、人々を救うために人生をささげましょう。神は私たちと共におられるので、恐れる必要はありません。
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