17.2.5.
ヨシャバテ王の信仰
Ⅱ歴代20:1-30
私たちの人生には様々な問題や困難などの戦いがあります。
しかし、神様が私たちのために戦い、私たちに勝利を与えて下さると聖書は教えています。
1.主を求め、主に従って歩む
ヨシャパテは、南ユダ王国の第4代目の王です。
ヨシャバテは、BC873年頃、35歳で即位し、25年間、南ユダ王国を治めました。20:31。
ヨシャバテが南ユダ王国の王となった時、北イスラエルの王国の王はアハブでした。
アハブは、最悪の王で、シドンの王の娘イゼベルと結婚しました。
そのため、北イスラエルには、イゼベルによって、バアル信仰が入り込んでしまいました。
しかし、ヨシャバテは、先祖ダビデのように、目に見えない真の神様を慕い求めました。
父アサ王にならって、主の前に正しく歩み、主の目にかなう政治を行いました。17:3,4,6。
その結果、「主はヨシャバテとともにおられた」(3)のです。
そして、「主は、王国を彼の手によって確立された」(5)のでした。
ヨシャバテは、自分自身が「神」の「命令に従って」歩むだけではありませんでした。
ヨシャバテは、「つかさたち」(7)、「レビ人」(8)、「祭司」(8)を「ユダの町々」(7)に遣わし、
人々に律法を教えさせ、主を慕い従う心をユダの民全体にもたらしたのです(9)。
この「巡回する」という動詞には、「取り囲む」「包む」という意味があります。
ヨシャバテは、主の言葉と教えによって、ユダ全体を取り囲んだということです。
「そこで、主の恐れが、ユダの回りの地のすべての王国に臨んだため、
ヨシャバテに戦いをしかける者はだれもいなかった」(10)のです。
それどころか、「贈り物」(11)を携えて来る者たちがいました。
御言葉に取り囲まれる時、それが霊的なバリアーとなり、悪の攻撃から守られるのです。
こうして、神様は、ヨシャパテをいよいよ祝福し、周辺諸国から南ユダ王国を守りました。
主を求め、主に従って歩むことが、祝福となるのです。Cf.詩篇127:1-2。
2.主の前に出て助けを祈り求める
南ユダ王国は、周囲の国々から守られていましたが、
「モアブ人とアモン人」、「アモン人の一部」(「セイル山の人々」10)の連合軍が、
「ヨシャバテと戦おうとして攻めて来」ました(20:1)。
おそらく、ヨシャバテが北イスラエルのアハブと同盟を組んだためと考えられます(18:1)。
このことは、主の御心を損なうことでした(19:2)。
敵が攻めて来た時、ヨシャバテのしたことは「ただひたすら主に求め」(3)ることでした。
ヨシャバテの呼びかけに応答し、「ユダの人々は集まって来て、主の助けを求め」(4)ました。
「ユダのすべての町々から人々が出て来て、主を求めた」(4)のです。
13節によると、そこには大人の男たちでだけではなく、女や子どもたちも全員いました。
ヨシャバテとユダの人々は、主の前に出て、主を求め、助けを祈り求めたのです(12)。
しかし、実は、この時、南ユダ王国には、116万人という勇士がいました。17:14-19。
彼らに頼って、3民族の連合軍に立ち向かうことも出来ました。
また、同盟している北イスラエル王国に助けを求めることも出来たはずです。
しかし、ヨシャパテは、自分たちの力に頼ることも、人に頼ることもしませんでした。
ヨシャバテは、神様に祈ることが、最大の武器であることを知っていたのです。
しかし、私たちは、目に見えない神様に頼るよりも、
自分の知恵や力、頼れそうな人、人間的な方法に頼ってしまうことがあります。
しかし、神様こそ、私たちの力、助けです。
私たちは、この神様に信頼し、祈らなければならないのです。詩篇118:5-9。詩篇50:15。
3.主に賛美の声をあげる
ヨシャバテとユダの人々が主の前で祈っていると、
「主の霊」がレビ人ヤハジエルに臨み、主からのメッセージを伝えました。
「あなたがたはこのおびただしい大軍のゆえに恐れてはならない。気落ちしてはならない。
この戦いはあなたがたの戦いではなく、神の戦いであるから。」(15)
「この戦いではあなたがたが戦うのではない。しっかり立って動かずにいよ。
あなたがたとともにいる主の救いを見よ。ユダおよびエルサレムよ。恐れてはならない。
気落ちしてはならない。あす、彼らに向かって出陣せよ。主はあなたがたとともにいる。」(17)
そして、「翌朝早く」(20)、ヨシャバテは、敵に向かって出陣する際に、
「主に向かって歌う者たち、聖なる飾り物を着けて賛美する者たちを任命し」、
彼らを「武装した者たちの前に」配置しました(21)。
これは、この戦いが自分たちの戦いではなく、「主の戦い」であることを表すものでした。
すなわち、人間の力に頼むのではなく、主に信頼することの表れでした。
私たちも、自分の目の前の問題や困難ではなく、また自分の弱さや足りなさでもなく、
力ある神様に信仰の焦点を合わせることが大切です。
主を賛美する時、目で見ることの出来ない神様に目を向けることが出来るようになります。
「賛美する者たち」が、「喜びの声、賛美の声をあげ始めたとき」(22)、
「アモン人、モアブ人、セイル山の人々」の同士討ちが始まり(23)、全滅してしまいました。
主ご自身が敵と闘って下さったので、ヨシャパテは大勝利を得ることが出来ました。
彼らは、ただ見ていただけで、戦うことも、何もしませんでした。
賛美には力があります。賛美の中に、主が臨在されるからです。詩篇22:3。
困難な状況の中でも、主に信仰の目を向けて、賛美の声を上げることが大切です。
神様は、私たちと共にあり、私たちの人生における様々な戦いの場面で戦って下さり、
私たちに勝利を与えて下さるのです。イザヤ41:10、申命20:1-4。
私たちに求められているのは、ただ神様に対する単純な信仰です。
私たちが信仰を持ち続けるなら、神様はその信仰を通して働いて下さいます。ヨハネ11:40。
神様は、私たちのために戦って、私たちに勝利を与えて下さいます。
「これはわたしの戦いだ。わたしが戦うのだ」と主は言われます。
私たちも主を信頼し、主を慕い求め、
主の前に心を注ぎ出して祈り、主に賛美の声を上げましょう。
Filed under: 伊藤正登牧師