ヨセフの従順
マタイ1:18-25
21.12.12.
マリヤの婚約者ヨセフは、婚約者マリヤの突然の妊娠を知った時、どのように受け止め、どのように応答したのでしょうか。
1.人間的方法で問題を解決しようとした
当時、ユダヤでは、結婚していないのに妊娠することは、不貞の罪を犯したとみなされ、最悪の場合は死刑にもなることでした(申22:20-24)。ですから、結婚前にマリヤが妊娠したということは、重大な問題だったのです。ヨセフは、マリヤを愛していたので、何とかマリヤを助けよう、守ろうとしました。そこで、ヨセフは、マリヤに離婚状を与えて、「内密に去らせようと決めた」のでした。それは、マリヤが裁かれ、死刑になることを防ぐためでした。婚約関係がなければ、姦淫の罪に問われることはなく、マリヤの命は助けられたのです。ヨセフは、マリヤと別れることが、人間的に考えて正しい方法、最善の方法と考えました。
しかし、ヨセフがしようとしていたことは、人類に対する神の救いの計画を妨げ、神の御心に反することになることでした。なぜなら、キリストは「ダビデの子孫」として生まれると聖書に預言されていましたが、もしマリヤが「ダビデの子孫」であるヨセフと結婚しなければ、マリヤから生まれて来るイエスは「ダビデの子孫」とはならなかったからです。つまり、キリストは「ダビデの子孫」として生まれるという聖書の預言は成就せず、神の救いの計画は成し遂げられませんでした。「ダビデの子孫」であるヨセフがマリヤを妻として受け入れたゆえに、マリヤから生まれたイエスも「ダビデの子孫」、キリストとなり得たからです(マタ1:1-17)。
ですから、ヨセフがマリヤと結婚することは、神のご計画であり、神の御心でした。しかしヨセフは、マリヤと別れることが正しいことであると考え、知らず知らずの内に、神のご計画と御心に反することをしようとしていたのです。それは、ヨセフが罪深く悪い人間だったからではなく、「正しい人」であったからです。ヨセフは、人間的に考えて正しい方法、常識的な方法で問題を解決しようとしました。しかし、それは「神中心の考え方」ではなく、「人間中心の考え方」だったのです。それは、「good idea」でしたが、「God’s idea」ではありませんでした。そのため、神の救いの計画を妨げ、神の御心に反することになりました。私たちも、ヨセフのように、人間的に考えて正しい方法、常識的な方法に従って、結局、神の御心に反することをしてしまうことはないでしょうか。Cf.伝道7:16。
2.主の御声に聞き従った
マリヤの妊娠の知らせは、ヨセフにとって、とてもショックなことだったでしょう。1:20には、ヨセフがマリヤのことで「思い巡らしていた」と書いてあります。「思い巡らす」とは、ギリシヤ語では「熟考する、じっくり考える」という意味です。ヨセフは、マリヤのことで、心を痛め、どうしたら良いかと色々と考えていました。そのような時、「主の使いが夢に現れて」、ヨセフに語りかけました。「ダビデの子ヨセフ。恐れないであなたの妻マリヤを迎えなさい。その胎に宿っているものは聖霊によるのです。」(20) さらに主は、これは預言者イザヤの預言が実現するためであると語られました(22-23)。
「ヨセフは眠りからさめ、主の使いに命じられたとおりにして、その妻を迎え入れ」(24)ました。ヨセフは、主の言葉に素直に従い、マリヤを妻として受け入れる決断をしました。そして、それは簡単に実行出来る決断ではありませんでした。なぜなら、婚約中に妊娠してしまったマリヤと結婚するということは、陰口を言われたり、いじめられたり、仲間外れにされたりするかもしれないからです。ヨセフとマリヤの結婚生活には、初めから困難が予想されていたのです。それでも、ヨセフは、主の語り掛けに従いました。
私たちも、ヨセフのように主の言葉に従順に従わなければなりません。
① たとえ理解出来なくても主の御心に従う
主の言葉や導きが、私たちの理解を超えたものであることがあります。しかし、まず従ってみるまではその意味が分らないことがあります。従うことによって、理解することが出来るようになるのです。イエスがペテロに「深海に漕ぎ出して網を降ろして魚を獲りなさい」と言われた時、ペテロはイエスの言われたこととだからということで従いました。すると、網が破れそうなほど沢山の魚が獲れました。ルカ5:4-6。たとえ理解出来ないことであっても、「はい、主よ」と応答して従うのです。
② たとえ自分の思いと違っていても主の御心に従う
主が言われることと私たちの思いが同じである場合は、直ぐに従うことが出来ます。しかし、主は、私たちの思いや願いと異なることを言われることがあります。主の語りかけを受け入れることが出来ず、従うことが出来ず、結局、御声に反して、自分の考えの方向に行ってしまうことはないでしょうか。しかし、主のご計画は、私たちの考えより遥かに優れているのです(イザ55:8-9)。たとえ自分の思いと違っていても、主の御声に「はい、主よ」と応答して従うのです。イエスも自分の思いではなく、父なる神の御心に従う祈りをしました(マコ14:36)。
ヨセフは、主の導きに従って、マリヤを妻として受け入れる決断をしました。そして、ヨセフの従順によって、救い主イエス・キリストが無事に生まれ、全人類に救いがもたらされることになりました。ヨセフは普通の大工であり、私たちと同じような普通の人間でした。しかし、ヨセフには、神に対する絶対的な信仰、単純な信仰がありました。ヨセフは、人間中心の信仰ではなく、神中心の信仰を持ったのです。ヨセフは、理解出来ないこと、信じられないこと、犠牲や痛みを生じることでも、単純に神を信じ、神の言葉に従ったのです。私たちは、常識的に考えて、自分が正しいと思える方法を取ろうとして、かえって神の働き、御業を妨げ、破壊してしまうようなことはないでしょうか。ヨセフのように、神の言葉に聞き従う者となりましょう。
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