18.8.19.

南ユダ王国では、エルサレムの神殿で、真の神への礼拝がささげられていましたが、王たちの中には、偶像礼拝をもたらした悪い王たちもいました。しかし、偶像を捨て、主だけを求め、主だけを礼拝する良い王たちもいました。その内の1人が第3代目の王アサで、もう1人が第4代目の王ヨシャパテです。

1.ヨシャパテ王のこれまでの歩み

ヨシャパテは、「先祖ダビデの最初の道に歩んで、バアルに求めず、その父の神に求め、その命令に従って歩み」(17:3-4)、北イスラエル王国のように偶像礼拝をしませんでした。そのため主は、ヨシャパテの治世を「確立され」、「富と誉れが豊かに与えられ」ました(17:5)。またヨシャパテは、「つかさ」(17:7)を「レビ人」(17:8)たちと「祭司」(17:8)たちと同行させ、「律法の書を携えて行き、ユダのすべての町々を巡回して、民の間で教え」(17:9)させました。ヨシャパテは、南ユダ王国全体を主の御言葉という霊的バリアによって包んだのです。その結果、「ヨシャパテに戦いをしかける者はだれも」(17:10)いませんでした。
しかし、ヨシャパテは、北イスラエル王国の悪王「アハブと縁を」(18:1)結び、アハブと一緒にラモテ・ギルアデに戦いに行くことにしてしました(18:3)。しかし、預言者ミカヤがイスラエルが敗北し、アハブが戦死することを告げると(18:16)、アハブは怒り、ミカヤを「牢屋に入れ」(18:26)てしまったのです。ヨシャパテとアハブが戦い行く時、アハブは、自分は「変装」するが、ヨシャパテには「王服を着て」(18:29)戦いに出るようにと言いました。彼らが戦いに出ると、アラム軍はヨシャパテをアハブと思い、彼に追い迫って来ました。しかし、ヨシャパテが「助けを叫び求め」ると、「主は彼を助けられ」ました(18:31)。「ところが、ひとりの兵士が何げなく弓を放つと、イスラエルの王の胸当てと草摺の間を射抜いた」(18:33)ため、その傷のため、アハブは死んでしまいました(18:34)。神から隠れることなど出来ず、神の裁きから逃げることなど出来ないのです。
「ヨシャパテは無事に自分の家に帰り、エルサレムに」(19:1)戻りましたが、預言者エフーが来て、ヨシャパテを責めました(19:2)。ヨシャパテは、偶像礼拝者であったアハブと同調してはならなかったのです。Ⅱコリント6:14

2.主の前に出て助けを祈り求めたヨシャパテ王

「モアブ人とアモン人」、「アモン人の一部」(「セイル山の人々」10)の連合軍が、「ヨシャバテと戦おうとして攻めて来」(1)ました。それは、ヨシャバテが北イスラエル王国のアハブと同盟を組んだためと考えられます。その時、ヨシャバテは、「ただひたすら主に求め、ユダ全国に断食を布告」(3)しました。ヨシャバテの呼びかけに応答し、「ユダの人々は集まって来て、主の助けを求め」(4)ました。そこには「彼らの幼子たち、妻たち、子どもたちも共に」(13)集いました。ヨシャパテは、自らの無力を告白しつつ、ただ主だけを仰ぎました(6-12)。実は、この時、南ユダ王国には、116万人という勇士がそろっていました(17:14-19)。その軍事力に頼って、3民族の連合軍に立ち向かうことも出来ました。また、同盟している北イスラエル王国に助けを求めることも出来たはずです。しかし、ヨシャパテと南ユダ王国の人々は、自分たちの力に頼ることもせず、他の人たちに頼ることもせず、主だけを信頼し、ひたすら主を求めました。「私たちに立ち向かって来たこのおびただしい大軍に当たる力は、私たちにはありません。私たちとしては、どうすればよいかわかりません。ただ、あなたに私たちの目を注ぐのみです。」(12)
主こそ、私たちの力、助けです。私たちは、目に見えない神よりも、目に見えるものに頼ってしまいがちです。しかし、目に見えない神に信頼し、祈らなければならないのです。困難な状況にある時、主は、私たちに呼びかけておられます。苦難の日にはわたしを呼び求めよ。わたしはあなたを助け出そう。あなたはわたしをあがめよう。詩篇50:15

3.主を礼拝し人々に賛美をささげさせたヨシャパテ王

「主の霊」がレビ人ヤハジエルに臨み、主からのメッセージを伝えました。「あなたがたはこのおびただしい大軍のゆえに恐れてはならない。気落ちしてはならない。この戦いはあなたがたの戦いではなく、神の戦いであるから。」(15)「この戦いではあなたがたが戦うのではない。しっかり立って動かずにいよ。あなたがたとともにいる主の救いを見よ。ユダおよびエルサレムよ。恐れてはならない。気落ちしてはならない。あす、彼らに向かって出陣せよ。主はあなたがたとともにいる。」(17) これを聞いて、ヨシャバテとユダの人々は、「主の前にひれ伏して主を礼拝し」(18)、「レビ人たちが立ち上がり、大声を張り上げてイスラエルの神、主を賛美し」(19)ました。
「翌朝早く」(20)、ヨシャバテとユダの人々は出陣しました。ヨシャパテは、「主に向かって歌う者たち、聖なる飾り物を着けて賛美する者たちを任命し」、彼らを「武装した者たちの前に」配置しました(21)。「賛美する者たち」は歌いました。「主に感謝せよ。その恵みはとこしえまで。」(21) 私たちも、信仰によって主に感謝と賛美をささげなければなりません。彼らが、「喜びの声、賛美の声をあげ始めたとき、主は伏兵を設けて、ユダに攻めて来たアモン人、モアブ人、セイル山の人々を襲わせたので、彼らは打ち負かされ」(22)てしまいました。「アモン人、モアブ人、セイル山の人々」が同士討ちをし(23)、全滅してしまったのです。
ヨシャパテとユダの人々は、見ていただけで、戦うことも、何もしませんでした。「主はイスラエルの敵と戦われ」(29)、大勝利を与え下さったのです。主を賛美することは、霊的な戦いにおいて、大きな武器となるのです。なぜなら、賛美の中に、主が臨在されるからです。詩篇22:3

ヨシャパテは、生涯を通じて、主を求め、主を礼拝し、主に従い、主に信頼しました。「彼はその父アサの道に歩み、その道からそれることなく、主の目にかなうことを行った」(20:32) 主は、ヨシャパテを助け、「二十五年間、王であった」(20:31)のです。ヨシャバテのように、ただひたすら主に目を注ぎ、主を求め、賛美の声を上げましょう。

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