17.3.12.
主に喜びの声をあげよ
詩篇100:1-5
私たちは、どのように主を礼拝し、主に近づいて行ったらいいのでしょうか。
1.礼拝(主の臨在)への招き
詩篇100篇には、旧約時代の礼拝者たちの礼拝する姿が描かれています。
ユダヤ人たちは、神様を礼拝するために、各地からエルサレムの神殿へとやって来ました。
エルサレムは、標高約800mのところにあります。
礼拝者たちがエルサレムに行くためには、山を登って行かなければなりませんでした。
そして、エルサレムの神殿が見える場所に来ると、
礼拝者たちは、その姿に感動し、嬉しくて、賛美をささげました。
そして、礼拝者たちが、神殿の門をくぐる時には、
「感謝しつつ」、「賛美しつつ」、神殿の庭へと入っていったのです。(4)
そして、彼らは「感謝」と「賛美」をもって、神殿の庭から、神殿へと入って行きました。
しかし、礼拝者たちは、単に目に見える神殿を目指したのではなく、
目に見えない主の臨在を求めたのです。
2節には、「喜び歌いつつ御前に来たれ」とあります。
英語訳(KJV)では、「come before his presence with singing」となっています。
「御前」とは、「presence」すなわち「主の臨在」のことです。
ですから、礼拝とは、単に教会に来ることや礼拝に出席することではありません。
礼拝とは、主の臨在の中に入って行くことなのです。
私たちは、礼拝の中で、主に出会い、主に触れられ、主に満たされます。
礼拝には、賛美、祈り、献金、メッセージなどの「program」がありますが、
主の臨在(presence)こそが、礼拝の中心であり、真髄なのです。
私たちは「喜びをもって主に仕えよ。喜び歌いつつ御前に来たれ」と招かれています。
「主に仕えよ」の「仕える」は、単に「奉仕する」ということではなく、
聖書では「礼拝」を表わす言葉として用いられています。
ですから、英語でも「礼拝」は「service」と言われています。
私たちは、礼拝、主の「御前」に出ること、主の臨在へと招かれているのです。
2.大歓声の叫びをもって主に歌う
1節と2節で、私たちは、「喜びの声」をあげ、「喜びをもって主に仕え」、
「喜び歌いつつ」、主に近づくようにと言われています。
私たちが主の「御前」に出る、主の臨在に入って行くためには、
「喜び」をもって、主を賛美することが必要なのです。
辞書では、「喜びの声」は「素晴らしいものに接した際に起こす熱狂的な反応のこと」です。
また、「喜びの声」をあげるとは、「歓声を上げる」、「大歓声を上げる」、「大喝采する」、
「嵐のような歓声を上げる」ということである、とあります。
英語訳(NIV)では、「Shout to the Lord」となっています。
つまり、「喜びの声をあげよ」とは「Shout」であり、「叫べ」ということです。
ヘブル語では「ハーリーウー」となっていて、
それも「叫ぶ」、「大声を上げる」、「ラッパを吹き鳴らす」という意味となっています。
ですから、「喜びの声をあげよ」とは、「大歓声をあげて歌え」ということなのです。
私たちが主に歌う時、主を礼拝する時、
このような「喜びの声」をもって、歌ったり、礼拝したりしているでしょうか。
詩篇100:1は、英語訳(KJV)では、「Make a joyful noise unto the LORD」となっています。
「noise」とは、「騒音、雑音、騒々しさ、大騒ぎ」という意味があります。
ですから、「Make a joyful noise」とは、「騒々しい音を出す」ということです。
賛美においては、美しく歌ったり、上手に楽器を奏でたり、
ハーモニーを合わせたりすることも素晴らしいですが、
何よりも、「喜び」をもって何らかの音を出すことが大切なのです。
3.主ご自身に焦点を合わせる
自分自身、自分の置かれた状況、自分が直面する問題などに目を向けたら、喜べません。
私たちは、神様がどのようなお方かということに目を向けなければならないのです。
ですから、3節で、「知れ、主こそ神」と言われています。
私たちが神様を知れば知るほど、喜びが湧き上がって来ます。
① 主は私たちの造り主(3)
私たちは、神様によって造られました。
神様が私たちを造られたということは、私たちが神様に愛されているということです。
また、私たちが偶然に生まれて来たのではなく、
神様が私たちの人生に目的を持っており、私たちの人生には意味があるということです。
② 私たちは主のもの、主の民、その牧場の羊(3)
私たちは、イエス様の血によって贖われて、「主のもの」(Ⅰコリント6:19-20)となり、
「主の民」(Ⅰペテロ2:9)とされました。
それは、「羊飼い」となって下さったということです。
羊飼いが羊を養い、守り、導くように、主も私たちを養い、守り、導いて下さるのです。
③ 主はいつくしみ深く、恵み深く、真実な方(5)
主なる神様は、良いお方であり、恵み深いお方であり、真実なお方です。
神様は、私たちを偽ったり、裏切ったりすることなく、常に誠実であられます。
私たちも、主に心と思いを向け、「主に向かって喜びの声をあげ」ましょう。
「喜びをもって」、「喜び歌いつつ」、「御前」に進み行きましょう。
そして、主の臨在に入って行き、主に出会い、主に触れられ、満たされましょう。