14.11.16.
主に御心を伺ったダビデ(中編)
Ⅰサムエル22,23章
② 神様の栄光を現すものか
私たちの人生の目的は、神様の栄光を現すことです。Ⅰコリント10:31。
すなわち、神様がどんなに素晴らしいお方であるかをあらわし、
神様がほめ称えられるようにするのです。
自分がしようとしていることは、神様の栄光になっているでしょうか。
また、自分のしようとしていることは、クリスチャンとしての証しとなることでしょうか。
もし、神様の栄光にならないことであるなら、神様の御心、神様の導きではありません。
また、それは誰の栄光になるのかということも大切なポイントです。
それは、ただ自分が得すること、自分が称賛されること、自分が楽しむことなのか。
主の祈りの中にもある通り、「御名があがめられ」ることを求めましょう。マタイ6:9。
③ 教会の徳を高め、他の人の益となるものか
私たちには自由が与えられていますが、何をやってもいいというわけではありません。
聖書は、他の人の益となることを求めるようにと教えています。Ⅰコリント10:23,24。
自分がしようとしていることは、他の人の益となることでしょうか。
それとも、自分の利己的な満足を満たすだけのものでしょうか。
また、聖書は、教会の徳を高めることを求めるようにと教えています。ローマ14:19。
すなわち、教会の兄弟姉妹の信仰を励ましたり、強めたりすることを求めるのです。
また、他の人に信仰の躓きを与えるようなことはしないということです。Ⅰコリント10:32,33。
さらに積極的な意味では、福音が宣べ伝えられ、イエス様が証され、
人々が救いに導かれるようなことを求めることが大切です。
他の人の益となり、教会の徳を高めるものであるなら、それは御心と言えます。ローマ15:2,3。
④ 愛が動機となっているか
「人はうわべを見るが、主は心を見る」(Ⅰサムエル16:7)とあるように、
神様は、私たちの行動だけではく、私たちの心、動機を見ておられるのです。
私たちが神様の御心、神様の導きと信じて行おうとしていることは、
神様に対する愛、他の人に対する愛が動機となっているでしょうか。
もし、私たちがやろうとしていることが、自己中心的な思いや願いから出ているなら、
それは神様からのものではなく、自分の肉的なものです。御心ではありません。
また、悪い動機でやろうとしも、それは実現しません。ヤコブ4:3。
一見して、どんなに素晴らしいことであっても、愛が無いなら、無意味です。Ⅰコリント13:3。
神様に対する愛、他の人に対する愛を動機としたものであるなら、
それは神様の御心であり、神様からのものであると言えます。
あなたのしようとしていることは、愛が動機となっているでしょうか。
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