14.11.23

主に御心を伺ったダビデ(後編)

Ⅰサムエル22,23章

⑤ 平安があるか
神様が私たちのために持っておられる計画は、「平安の計画」です。エレミヤ29:11
ですから、神様の御心、導きであるならば、心に平安が与えられます。
もし、心を支配しているものが恐れや不安であるなら、
それは神様からのものではありません。
しかし、神様が私たちに与えて下さる平安は、単に人間的な平安ではありません。
単に、現状や条件が良いからということで与えられる平安ではありません。
それは常識的には平安でいられないような状況であるにも関わらずの平安です。
たとえ現実的には状況が悪く見えても、神様からの導きであるなら、
心に平安が与えられるのです。ヨハネ14:27

⑥ 常識や状況も考慮する
神様は、常識を超えて働かれることもありますが、非常識な方ではありません。
神様は、秩序ある方であり、混乱した方ではありません。
神様の御心と導きに従うということは、常に非常識になるということではありません。
神様は、私たちに知性や理性を与えて下さり、理解する能力を与えて下さいました。
神様の御心は、常識やその置かれた状況から判断することも出来るのです。使徒16:6-10
神様は、人生のドアを開かれる時もあれば、閉ざされることもあります。
私たちが常識をもって考える時、神様の御心や導きが分かることもあるのです。
逆に、常識を捨ててしまうと、間違った方向に進んだり、愚かな行動をとってしまいます。
しかし、常識や状況に縛られ過ぎないことも大切です。

⑦ 信頼出来る人からの助言を求める
自分だけでは、どうしても神様の御心か導きかどうか判断が難しいこともあります。
その場合は、信頼出来る人からの助言をもらいましょう。箴言12:15、15:22
信頼出来る助言者というのは、自分にとって耳障りのいいことを言ってくれる人、
常に自分の意見に同意してくれる人ということではありません。
神様を畏れ、神様を愛する人、聖書をよく知っていて、みことばに忠実に従っている人、
教会内でも社会でも良い証しを立てている尊敬出来る成熟したクリスチャンです。
また、自分が神様の御心と導きであると確信していることでも、
独りよがりとならないため、他の信頼できる人による証言が必要です。Ⅱコリント13:1

これらの条件を照らし合わせて総合的に考え、御心と導きを判断することが大切です。
なかなか神様の御心が示されず、導かれない時は、「待ちなさい」というサインなのです。
暫く時間がかかり、何ヶ月も何年も辛抱強く待たなければならないこともあります。

4.主の御心に従う

神様が命じられたことが、実際の状況に合っていないように見えても、
ダビデは神様の導きに従って行動し、ケイラの町へと向かいました。

① たとえ理解出来なくても主の御心に従う
神様の御心と導きが、現実の状況に合っていないように感じられる時もあります。
神様の御心と導きが、私たちの理解を超えたものであることがあります。
そのため、神様にその説明を求めたり、文句を言ってしまうことはないでしょうか。
ある導きは、従ってみるまではその意味が分らないことがあります。
従うことによって、理解することが出来るようになるのです。
アブラハムは行き先を知らずに信仰によって神様に従って出て行きました。へブル11:8
ペテロはイエス様に従い、深みに漕ぎ出し網を降ろして魚を獲りました。ルカ5:4-6
神様を信頼して、神様の御声に「はい、主よ」と応答して従うことが大切です。

② たとえ自分の思いと違っていても主の御心に従う
神様は私たちの思いや願いと異なることを言われることがあります。
そのような時、神様が語りかけておられるのに、それを受け入れることが出来なかったり、
従うことが出来なかったりすることはないでしょうか。
預言者ヨナは、神様からニネベの町に行き預言するようにと命じられましたが、
ニネベに行くことを拒みタルシシュへと行ったため、嵐に巻き込まれてしまいました。
神様の思いや計画が私たちのものより優れていることを覚え(イザヤ55:8,9)、
神様を信頼して、神様の御声に「はい、主よ」と応答して従うことが大切です。
イエス様が父なる神様の御心に従う祈りをしたように、私たちも祈るのです。マルコ14:36

ダビデがケイラの町にいることを知ったサウルは、再びダビデを追跡し始めました。
ダビデはサウルがケイラの町に本当にやって来るのか、
またケイラの町の人々が自分をサウルに引き渡すのか、神様に尋ねました。
すると神様は、サウルがケイラにやって来ることと、
ケイラの町の人々がダビデをサウルに引き渡そうとしていることを教えて下さいました。
それは、ダビデにとって、ケイラの町の人々に裏切られたということになります。
神様の御心と導きに従って行動しても、それが報われないように見える時があります。
しかし、神様は、ダビデをサウルの手から守られました。23:14
ついにサウルたちが一つの岩山を隔ててダビデたちに追い迫って来て、
もうダメだと思われた時、サウルにペリシテ人が侵入して来たことが知らされました。
そこで、サウルはダビデを追跡することを止めて、引き返して行ったのです。
神様は、ご自分を信頼し、ご自分の御心を求め、
その導きに従っているダビデを決して見捨てることなく、守られたのです。
ダビデは、サウルとの間にあった岩山を「仕切りの岩」と呼びました。23:28
しかし、神様こそが「仕切りの岩」となって、ダビデをサウルから守られたのです。
この時のことを基にして記された詩篇が詩篇54篇です。
神様は、神様を信頼し、神様の御心を求め、
神様の導きに従って歩む人を守り、導いて下さいます。
私たちもダビデのように、神様を信頼し、
神様の御心を求め、神様の導きに従って歩む者となりましょう。箴言3:5,6

Filed under: 伊藤正登牧師