15.6.7.

主の主権を認める

箴言3:5,6

様々な問題が起こった時、私たちはどうしてこのようなことが起こったのか、
またこれからどうしらたいいのかと色々と考え込んでしまうものです。
そして、問題ばかりに集中して考え過ぎてしまうと、思い煩うようになります。
しかし、聖書は「心を尽くして主に拠り頼め。自分の悟りにたよるな」と言っています。
これは、自分の考えや常識などで思い煩わず、ただ神様に信頼するようにということです。
さらに聖書は「あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ」と言っています。
これは、どのような状況の中でも主の主権を認めるということです。

1.主にはご計画があることを認める

私たちは全てのことが主の御手の中にあることを覚えなくてはなりません。
神様は私たち一人一人にご計画を持っておられます。
そして、その計画は悪い計画ではく、良い計画なのです。エレミヤ29:11
この預言がされた時は、決して平安な時ではなく、
バビロニア捕囚というイスラエルの歴史にとって最低最悪な時の一つでした。
異国の地で生き残ったユダヤ人たちは、将来に対して何の希望も持てませんでした。
しかし、神様はバビロン捕囚が永遠に続くものではなく、70年の間だけであり、
ユダヤ人たちが再びイスラエルの地に帰るようになると語られました。エレミヤ29:10
将来に対して全く希望が持てない時に、神様は捕囚となったユダヤ人たちに、
神様が彼らに対して希望の計画をもっておられると語られたのです。
同じように、たとえ今、自分が最低最悪な状態にあるとしても、
神様は私たち一人一人にも希望を与える計画を持っておられるのです。
神様は私たちの考えよりも遥かに優れたご計画を持っておられます。イザヤ55:8,9
「どうしてこんなことが起こるのか」と不満を言いたくなることもあるでしょう。
しかしそこには、私たちが知り得ない、理解出来ない、神様の偉大なご計画があるのです。
それは、その時は分らなくても、後になれば分るのです。
もしかしたら、私たちが天国に行くまで一生理解出来ない事もあるかもしれません。
それでも、私たちは神様にはご計画があることを認め、全てが神様の御手の中にあり、
神様が全てを支配しておられることを信じなければならないのです。

2.主が全てを益として下さると信じる

私たちは神様が全ての事を益に変えて下さることを信じなければなりません。
創世記37章~。ヨセフは父ヤコブに特別に愛されていたため、兄たちから憎まれ、
エジプトに奴隷として売り飛ばされてしまいました。
ヨセフはポティファルの家で真面目に仕えたので信頼されるようになりましたが、
ポティファルの妻の誘惑を拒んだため、彼女から逆恨みされて、
何も悪いことをしていなかったのに監獄に入れられてしまいました。
それでも、ヨセフは監獄の中でも誠実に仕えていたので、
監獄の長に信頼され、監獄の管理を任されるようになりました。
ある時、ヨセフはパロの献酌官が監獄から出られるようになるとの夢を解き明かしました。
ヨセフはその夢が実現したら自分も出獄出来るように計らってほしいと頼みましたが、
献酌官はヨセフのことをすっかり忘れてしまったのです。
しかし2年後、ヨセフは監獄から出されて、パロの夢を解き明かすことになったのです。
ヨセフはパロの夢を見事に解き明かしたため、エジプトの首相に任命されました。
やがて世界中が飢饉となり、ヨセフを売り飛ばした兄たちが、
エジプトのヨセフの元に助けを求めて来ることになったのです。
その時、ヨセフは理不尽な人生を送ってきましたが、
神様がそれらを益として下さったことが分かりました。創世45:5-8、50:20
神様は私たちの人生をも支配し、私たちの人生をも導いておられるのです。
そして、たとえ私たちの目には最悪と思えるようなことであっても、
神様はそれを最善につくり変えることがお出来になるお方なのです。ローマ8:28

3.主の栄光が現れされることを期待する

私たちはどのような出来事があったとしても、
最後には主の栄光が現されるということを期待しなければなりません。
ヨハネ9:1-7。弟子たちはイエス様に「彼が盲目に生まれついたのは、
だれが罪を犯したからですか。この人ですか。その両親ですか」と尋ねました。
不幸や病気は、罪に対する神様からの刑罰であると考えられていました。
今日でも、「因果応報」(いんがおうほう)の思想が日本人の考え方を支配しています。
病気や不幸は、先祖や親または本人が犯した罪の結果だと信じられています。
イエス様は「彼が盲目に生まれついたのは」、「この人が罪を犯したのでもなく、
両親でもありません。神のわざがこの人に現れるためです」と言われました。
私たちの人生には、理解することの出来ない苦しみや悲しみが起こることがあります。
しかし、それは神様の御業が現されるためなのです。
どんなに最悪と思える事も、神様はそれによって御業を現し、栄光を現して下さるのです。
多くの人が不幸や苦しみの原因や理由を知ろうとして、過去に目を向けようとします。
しかし、イエス様は未来に目を向けておられます。
最悪としか見えないことでも、神様は御業を現し、栄光を現して下さるのです。
ですから、どんなに大きな苦しみ、悲しみ、悩みの中にあっても、
神様がそれを通して御業を現し、栄光を現して下さると期待しなければなりません。
イエス様はラザロを失ったマルタに「もしあなたが信じるなら、あなたは神の栄光を見る、
とわたしは言ったではありませんか」(ヨハネ11:40)と語られました。

神様は私たちの人生に素晴らしいご計画をお持ちです。
神様は私たちの人生の主権者であり、私たちの人生の全ての出来事の背後に働いておられ、
私たちのために全てを益に変えて下さいます。
そして、最悪と思える事の中にも御業を現し、栄光を現して下さるのです。
私たちの人生は神様の御手の中にあります。
人生に起こる一つ一つの事柄に主の主権と働きを認め、主に全てを任せましょう。
日々の生活の中で神様の主権を認める時、神様が人生を導いて下さいます。Cf.詩篇37:5

Filed under: 伊藤正登牧師