14.12.21
主の御業を見て賛美する者となる
ルカ2:1-20
イエス様の誕生の次第を通して、神様を信じ、信頼することの大切さが教えられます。
1.全ての物事の背後に主が働いておられることを信じる
イエス様の誕生は、「皇帝アウグスト」が「全世界の住民登録をせよ」との勅令を出した時で、
「クレニオがシリヤの総督であったときの最初の住民登録」の時でした。
この時、ヨセフはイスラエル北部の「ガリラヤの町ナザレ」に住んでいましたが、
彼も「住民登録」をするために、「ダビデの家系であり血筋でもあったので」、
彼の出身地「ユダヤのベツレヘムというダビデの町」へと向かって行きました。
お腹が大きくなったマリヤを連れての旅は、大変なものであったと想像できます。
ヨセフとしては、マリヤのお腹が大きく、もうすぐ赤ちゃんが生まれそうな時に、
なぜベツレヘムまで旅をしなければならないのだろうかと思ったかもしれません。
実は、キリストがベツレヘムで誕生することは、預言されていたことでした。ミカ5:2 。
しかし、その当時のローマ皇帝も、ユダヤの支配者たちも、
キリストがベツレヘムで誕生するということなど全く考えていなかったでしょう。
しかし、彼らは図らずも神様のご計画の一部を実現することとなったのです。
神様はこの歴史を支配しておられ、この歴史の背後に働いておられます。
そして、この世界の様々な出来事や人物を通して、ご自身のご計画を実現されるのです。
私たちの人生にも、理解出来ない事や、受け入れられないような事が起こります。
そのような時、なぜそのような事が起こるのかと、
神様に対して疑いを持ってしまったり、不平を言ってしまうことがあります。
しかし、神様は私たちの人生を支配しておられ、様々な出来事の背後で働いておられ、
様々な状況や人々を通して、私たちの歩みを導いておられるのです。
そのようにして、神様はご自身のご計画を進め、御心を実現されるのです。
ですから、神様を信頼して、全てを神様に委ね、疑わず、つぶやかず(ピリピ2:14)、
その時々、自分の成すべき事を成し、自分の最善を行っていくことが大切です。箴言3:5,6。
2.主の導きが最善であることを信じる
6,7節に「マリヤは月が満ちて、男子の初子を産んだ」とありますが、
この「満ちて」という言葉は、単に「臨月になった」という意味だけではなく、
「神様の時がついに満ちた」という意味もあります。ガラテヤ4:4。
しかし、ベツレヘムには、「彼らのいる場所がなかった」のです。
ベツレヘムの町は、住民登録のためにやって来た人々でごった返していたことでしょう。
ヨセフは身重のマリヤが休めて、安心して出産出来る宿を一生懸命探し回ったでしょう。
しかし、聖書によると、イエス様は、「飼葉おけに寝かされた」とあります。
つまり、イエス様は「家畜小屋」でお生まれになったと考えられます。
それは、岩を掘って作った洞窟で、「飼葉おけ」も石をくり貫いて作られたものでした。
このことは、ヨセフにとって、最低最悪の状況だったかもしれません。
ユダヤ人たちは、やがて王なるキリストが現れ、
自分たちを敵から救い、その支配から解放してくれると信じ期待していました。
しかし、王である神の御子イエス様は、立派な宮廷ではなく、暗く汚い家畜小屋に生まれ、
柔らかいフワフワのベッドではなく、藁などがチクチク刺す飼葉おけに寝かされたのです。
イエス様は、ユダヤ人が誰も考えてもいなかったかたちでお生まれになりました。
神の御子イエス様は、私たちを罪と滅びから救うため十字架で死ぬために、
人間の姿となり、貧しくなって来られたのです。ピリピ2:6-8。Ⅱコリント8:9。
神様は、時として、私たちが期待していなかったような方法で働かれることがありま。
神様は、私たちの人生をユニークな方法で導かれることがあります。
しかし、神様のお考えや方法は、私たちよりも優れたものなのです。イザヤ55:8,9。
自分が期待していたものと違った導きであっても、神様の導きは最善です。ローマ8:28。
3.主の言葉を単純に信じ応答する
救い主の誕生が最初に知らされたのは、王や権力者たちではなく、
ベツレヘムの「野宿で夜番をしながら羊の群れを見守っていた」「羊飼いたち」でした。
当時、「羊飼いたち」は人々から見下され、軽蔑され、差別され、犯罪人同様に扱われ、
彼らの言うことは信用されず、裁判の証言も許されませんでした。
なぜ、神様はこのような「羊飼いたち」に、大切な救い主の誕生を知らせたのでしょうか。
それは、イエス様が私たち「罪人」、「愚かな者」、「弱い者」、「取るに足りない者」、
「見下されている者」を救うために来られたことを示すためであったのです。
「羊飼いたち」は私たちの代表だったのです。Ⅰテモテ1:5。ルカ19:10。Ⅰコリント1:27-29。
しかし、この「羊飼いたち」が選ばれたもう一つの大切な理由は、
彼らの「単純な信仰」のゆえであったと言えます。
救い主が「きょう」突然「ダビデの町」で生まれ「飼い葉おけに寝ておられる」という情報は、
ユダヤ人たちには信じられないことだったでしょう。
しかし、「羊飼いたち」は「主が私たちに知らせてくださったこの出来事を見て来よう」と、
神様からのメッセージとして素直に信じ、受け入れ、迅速に応答しました。
この「出来事」と訳されている言葉は、ギリシャ語で「レーマ」と言い、
「神様から直接語られた言葉」を意味します。
彼らは、自分たちが見聞きしたことについて、疑ったり、否定したりしませんでした。
そして、彼らは「急いで行って、…飼葉おけに寝ておられるみどりごとを捜し当てた」のです。
「羊飼いたち」は、地道に一つ一つの家畜小屋を捜し回ったのではないでしょうか。
ここのに「羊飼いたち」の単純で素直な信仰を見ることが出来ます。
信仰は神様の言葉に応答し、行動することによって表されるのです。ヤコブ2:14,17,20,26。
「羊飼いたち」は救い主イエス様に出会うことが出来て喜び賛美しました。
それは、御使いたちを通して語られた神様の言葉通りであったからです。
神様の言葉が実現するのを見ることは、とても嬉しいことであり、喜びです。
神様は信じる者に栄光を現して下さいます。ヨハネ11:40。
神様が全ての物事の背後に働いて、私たちを導いておられることを信じましょう。
神様の導きが最善であることを信じ、神様の御言葉を単純に信じ応答しましょう。
そして、神様の御業と栄光を見て、神様を賛美する者とならせていただきましょう。
Filed under: 伊藤正登牧師