17.8.27.
交わりを持とう
へブル10:25
使徒の働きには、初代教会の信者たちが「交わり」を持っていたことが記されています。
使徒2:42。そして、彼らは使徒たちの教えを堅く守り、交わりをし、パンを裂き、祈りをしていた。
1.交わりへの召し
今日、自分の世界だけを大切にし、
他の人との関わりを持たないようにしている人が増えています。
そのような考え方や生き方は、クリスチャンにも影響をもたらしています。
ある人たちは、神様との個人的な関係を持つということだけを強調し、
教会の「交わり」がなくても、一人だけで信仰生活を送ることが出来ると考えています。
しかし、それは、偏っていて、間違っていて、聖書の教えに反しています。
私たちは、キリストの体である教会の「交わり」に召されているのです。Ⅰヨハネ1:3。
私たちに福音が伝えられたのは、私たちが個人的に救われるためだけではなく、
私たちが神様とイエス様を中心とした「交わり」に加えられるためでした。
様々な理由でなかなか「交わり」を持てないこともあるかもしれません。
しかし、聖書は、次のように言っています。
へブル10:23。「ある人々のように、いっしょに集まることをやめたりしないで、
かえって励まし合い、かの日が近づいているのを見て、ますますそうしようではありませんか。
「かの日」とは、イエス様の再臨の日のことです。
イエス様の再臨の日が近づくと、困難な時代がやって来ます。
その時には、信仰の戦いも益々激しくなっていくでしょう。
そのような中で、一人だけで信仰を守っていくのは難しいです。
一人だけでは弱く、倒れてしまいますから、主にある「交わり」が必要なのです。
ですから、イエス様の再臨の「日が近づいているのを見て」
「励まし合い」、「ますます」「いっしょに集まる」ようにと奨励されているのです。
2.愛をもって交わる
私たちが互いに「交わり」を持つためには、「愛」が必要です。エペソ4:16。
イエス様は、イエス様が私たちを愛して下さったように、
私たちも互いに愛し合うようにと命令されました。ヨハネ13:34。
① 他の人に関心を持つ
「愛する」ことの反対は「憎む」ことではなく、「無視する」ということです。
無視するということは、その人の存在を認めないということで、殺人と同じです。
ですから、「愛する」ということは、「無視する」ことの反対、「関心を持つ」ことです。
イエス様は、この世で無視されるような人々に関心を持たれました。
すなわち、罪人や汚れた者と呼ばれる人たち、見下されていた人たち、
取税人マタイ、ザアカイ、サマリヤの女、遊女、重い皮膚病の人たちなどです。
私たちも、罪人、汚れた者、取るに足りない者でした。
しかし、イエス様は、私たちを無視せず、私たちを選んで下さいました。Ⅰコリント1:27-28。
神様が私たちに関心を持って下さり、救いに導いて下さったのですから、
私たちは、他の兄弟姉妹に対して冷たく、無関心であってはならないのです。
私たちは、同じ教会にいる兄弟姉妹のことをどのくらいよく知っているでしょうか。
顔は知っていたとしても、その人の名前さえも知らないことはないでしょうか。
同じ礼拝に集っていても、一度も話したことのない人はいないでしょうか。
父なる神様とイエス様が私たちに関心を持って下さったように、
私たちも他の人に関心を持ち、近づき、声を掛けりましょう。
② 他の人を大切にする
「愛する」とは、単に「好きである」というような感情的なものではなく、
「大切にする」ということです。
神様は、私たち罪人を単に感情的に好きだから救って下さったのではありません。
神様は、私たちを掛け替えの無い大切な存在として見て下さいました。イザヤ43:4。
そして、私たちを救うために、イエス様を十字架に犠牲としてささげて下さったのです。
物の価値は、そのために払われた代価によって表されます。
神様は、イエス様を私たちの贖いの代価としてささげて下さいました。
神様にとって、私たち一人一人は、イエス様の命ほどに価値があるということです。
どんな人であっても、一人一人、神様にとっては掛け替えの無い大切な存在なのです。
私たちも、そのような神様の視点で人々を見なくてはなりません。
教会には、色々な人たちが集まっていて、それぞれ多くの違いがあります。
性別、年齢、社会的立場、性格、考え方、好み、国籍、人種、言語、習慣。
しかし、私たちは、キリストの体として、互いに必要としている大切な存在なのです。
誰一人、必要でない人はいません。Ⅰコリント12:15-17,21,22。
自分のことを「自分は教会に属さない」と言うこともできませんし、
他の人のことを「あなたを必要としていない」と言うこともできません。
教会には、いてもいなくてもどうでもよい不必要な人などはいません。
一人一人が、なくてはならない必要な存在なのです。
私たち一人一人はパズルのピースのようなものです。余分なピースは一つもありません。
お互いの価値と尊さを認め、大切な存在として認め合いましょう。
互いに愛し合う中に、主の豊かな臨在が現され、神様の愛が現わされます。Ⅰヨハネ4:12。
私たちが愛し合うことによって、目で見ることのできない神様が現されるのです。
そして、私たちが一つとなって交わる所には、
神様の豊かな祝福が注がれます。詩篇133:1-3。
私たちの「交わり」の中に、「いっさいのものをいっさいのものによって
満たす方」(エペソ1:23)が満ちて下さるのです。
イエス様が私たちを愛して下さったように、互いに愛し合いましょう。
互いに関心を持ち、大切にし、主にある「交わり」を持つ教会となりましょう。
Filed under: 伊藤正登牧師