17.11.12.

信仰の大盾を取る

エペソ6:16

神が私たちに用意しておられる霊的な武具の第4は、「信仰の大盾」(6:16)です。
「信仰の大盾」を取るとはどういうことでしょう。

1.悪い者が放つ火矢

「火矢」は、相手を深く傷つけるだけではなく、
火が体全体に燃え広がっていき、体全体を炎で包んでしまいます。
悪魔がクリスチャンに深刻なダメージを与える「火矢」とは、どのようなものでしょう。

① 疑いの火矢
悪魔は、神ご自身と神の存在についての疑いをもたらします。
特に、人生の問題や困難に直面する時、神の存在を疑わせるのです。
また、悪魔は、神の言葉に対する疑いももたらします。
悪魔がエバを罪に誘惑する際にも、神の言葉を疑わせることから始めました。創世3:1
悪魔は、神の御言葉よりも、この世の方法、自分の考えに従って生きるようにさせます。

② 失望の火矢
悪魔は、私たちの目を神よりも、目の前や周りの状況、また人に向けさせます。
悪魔が私たちに示す事は、否定的なことばかりです。
そして、私たちを神に対し、教会に対し、人に対し、自分に対し失望させるのです。
その結果、信仰を失わせ、教会から去らせ、人間不信にさせ、自信を失わせます。

③ 恐れの火矢
恐れは、私たちの心を縛り、私たちの行動・活動を制限してしまいます。
神はイスラエルの民にカナンの地を与えていると約束されたのに、
イスラエルの民は背の高いカナン人を見て、恐れ、尻込みしてしまいました。
悪魔は、私たちの心に恐れを生じさせ、私たちを前進出来ないようにするのです。

④ 心配の火矢
この世で生きている限り、心配の種は尽きません。
悪魔は、私たちの将来や健康、仕事や経済状態、人間関係などに焦点を当てさせます。
そして、小さな問題を大きく増幅して、大きな問題に見させ、思い煩わせます。
そうなると、信仰が委縮し、さらに不安で心が支配されるようになってしまいます。

このような疑い、失望、恐れ、心配は、初めは小さなものです。
しかし、「火矢」の火がやがて体全体に燃え広がるように、
これらのものも増大していき、やがて信仰を躓かせてしまうのです。
疑い、失望、恐れ、心配は、私たちから喜びや平安、生きる力を奪い去ります。
そして、私たちを神から引き離し、神の祝福を受けさせず、惨めな人生を歩ませるのです。

2.信仰の大盾

弓矢に対処するための武具は、「盾」です。
ギリシャ語の「大盾」(ツーリア)という言葉は、「ドア」という意味でもあります。
当時の「大盾」は、幅約70cm、長さ約120cmもあって、本当にドアのようなものでした。
「大盾」は、自分の体を全部被うことが出来、敵から「火矢」が放たれても、
兵士たちは「大盾」によって守られ、敵に向かって前進出来たのです。
聖書は、私たちが持つべき「大盾」は、「信仰の大盾」であると言っています。
私たちは、聖書を学び、神がどのようなお方か知っています。
しかし、どんなに神についてよく知っていても、
その神を信じていないのであるならば、何の意味もありません。
へブル11:1。信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。
悪魔は、目の前の問題や困難な状況を指差して、疑い、失望、恐れ、心配を囁いて来ます。
しかし、そのような時こそ、神が良いお方であり、私たちを愛して下さり、
私たちに良い事をして下さる方であることを信じるのです。
神が全てを治め、全てのことを益として下さることを信じるのです。
神が全知全能なる偉大なお方であり、神には不可能がないことを信じるのです。
神が御言葉を守られる方であり、祈りに答えて下さることを信じるのです。ヘブル11:6

「信仰の大盾」は、別の言い方をするなら、「信仰の扉」です。
その「信仰の扉」を開く鍵は、「御言葉」です。
私たちは、御言葉を聞くことによって、信仰が強められるのです。ローマ10:17
この世の中で、私たちはいつも否定的な言葉を聞かされています。
ですから、神の御言葉を常に聞かなくてはならないのです。
自分の目や耳から入ってくる情報がどのようなものであっても、神を信じるのです。
どんなに最悪な状況であったり、不公平に見えたり、理解出来ないことであっても、
疑うことなく、失望することなく、心配したり、恐れたりせず、神を信じ続けましょう。
神ご自身が信じる者の「盾」となって下さいます。詩篇18:2,30
現実的には絶望的であっても、常識的には不可能であっても、信じるのです。
Ⅰヨハネ5:4。なぜなら、神によって生まれた者はみな、世に勝つからです。
私たちの信仰、これこそ、世に打ち勝った勝利です。 Cf. ヘブル10:39

私たちの「信仰」は、悪魔のあらゆる攻撃から身を守る「大盾」です。
「信仰」は、「大盾」のように、
悪魔からの疑い、失望、恐れ、心配の「火矢」から私たちを守ります。
神を信じ、信頼することが出来れば、
どのような疑い、失望、恐れ、心配もはね返すことが出来ます。
兵士が「大盾」によって、飛んでくる「火矢」をはねのけるように、
私たちも、常に「信仰の大盾」を装備しておき、
悪魔が放つ「火矢」を「信仰の大盾」によって打ち消し、前進していきましょう。

Filed under: 主の武具伊藤正登牧師