2026.3.29
今日から受難週です。十字架上の主イエスのことばから、「十字架に生きる」とはどういうことかを見ていきます。
「父よ、彼らをお赦しください。」(ルカ23:34)主イエスは、ご自分を十字架につける者たちのために祈られた。十字架の愛は、敵対する者のために祈る愛である。私たちもまた、知らず知らずのうちに罪を犯す者である赦しとは、裁きを自分で握らず、神にお委ねすることである。 私は誰を赦せずにいるでしょうか。自分自身を赦せずにいないでしょうか。
「あなたは今日、わたしとともにパラダイスにいます。」(ルカ23:43)もう一人の犯罪人は、自分の罪を認めてイエスに望みを置いた。救いは、何を積み上げたかではなく、誰にすがったかによる。十字架は絶望の印ではなく、希望の門である。救いの本質は、「キリストとともにいる」ことである。 私は今、どこに希望を置いているでしょうか。自分ではなく、キリストに望みを置いているでしょうか。
「父よ、わたしの霊をあなたの御手にゆだねます。」(ルカ23:46)主イエスは最後まで父なる神を信頼された。十字架は敗北ではなく、御父への従順と信頼の場所である。信仰生活は、すべてを自分で握る生き方ではなく、神に委ねる生き方である。日々の生活の中で、「父よ、御手にゆだねます」と祈って歩む。 私は何を握りしめているでしょうか。何を主の御手に委ねるよう招かれているでしょうか。
十字架に生きるとは、赦しに生きること、希望に生きること、委ねて生きること。受難週の一週間、私たちはただ十字架を見上げるだけでなく、十字架に生きる者とされて歩みたいと願います。
Filed under: 和田一喜牧師
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