2015.12.20
博士たちの3つのささげもの
マタイ2:1-12
イエス様がご降誕されたとき、東方の博士たちがイエス様を礼拝するために、はるばる旅をしてやってきました。そして高価な宝物、黄金、乳香、没薬をささげました。いったいイエス様はどのようなお方なのでしょうか。博士たちの3つのささげものを通して、イエス様がどのようなお方かを学んでみましょう。
1.イエス様は王の王
博士たちはイエス様に黄金をささげました。ソロモンの時代にも、王たちはソロモンに黄金をささげました。黄金は王に対するささげものなのです。
イエス様はイスラエルの真の王であり、その威光は全世界に及ぶといわれる王であり(ミカ5:2-4)、また、永遠の王です(イザヤ9:6、Ⅱサムエル7:12-16、詩篇89:4)。
イエス様は王の王であり、しかも愛に満ちた方であり(ヨハネ15:9-13)、その統治は、義と公正(詩篇89:14)です。
私たちにとって、黄金をささげるというのは、一番大事にしているもの、すなわち自分自身を主にささげ、自分の人生を主にささげるということでしょう。人生を主の為にささげ、王なるイエス様に仕える人生をもつことと言えるでしょう。このようにして、イエス様を王として受け入れましょう。
2.イエス様は神様
博士たちはイエス様に乳香をささげました。乳香はボスウェリアという木の樹脂で、ミルクの意味があります。栽培が難しく、かつては金と同じ値段で取引されていました。これを焚いて神様にささげる香としていました。乳香をささげるということは、神様として礼拝するという意味なのです。
イザヤ9:6-7には、生まれてくる子は、力ある神と呼ばれることを記されています。ヨハネ1:1-13には、神のことばが人となって来てくださったことが記されています。イエス様のご降誕は、神様が私たちのところに来てくださったということです(イザヤ7:14、マタイ1:23)。神様が人となって来てくださったということは、どれほど大きなことでしょうか。それはまるで、鳥が翼を捨てて地面で暮らすようなものです。イエス様は神のあり方を捨てて人となられたのです(ピリピ2:6-8)。
私たちにとってイエス様に乳香をささげるというのは、主を崇め、賛美し、祈り、礼拝する者となることでしょう。このようにして私たちも神の御子イエス様を日々礼拝し、イエス様を自分の神様として受け入れましょう。
3.イエス様は救い主
博士たちはイエス様に没薬をささげました。没薬は鎮痛剤でもあり香料でもありましたが、とくに、遺体に塗る香料でした。イエス様に没薬をささげるということは、イエス様が私たちの罪を負って死なれるという意味がありました。実際にイエス様が十字架にかかられたとき、没薬を含んだぶどう酒が与えられました(マルコ15:22-24)。また、イエス様の埋葬のときも没薬が用いられました(ヨハネ19:39-40)。イザヤ53章には、私たちの罪を負い、私たちの咎のために死ぬという、苦難のしもべの姿が記されています。イエス様は私たちの罪を負い、十字架の死をもって私たちを救ってくださった救い主なのです。
イエス様に私たちが没薬をささげるとは、イエス様が私たちの罪を負って十字架の死をもって贖ってくださったということを日々覚え、感謝して生きることではないでしょうか。このようにして、私たちはイエス様に日々感謝し、救い主として受け入れる者になりましょう。
博士たちは、王に対する黄金、神様に対する乳香、ご自身の命を犠牲にされる救い主に対する没薬を贈り物としてささげました。イエス様はそれを受けるにふさわしいお方なのです。私たちも王であり神であり救い主であるイエス様を私の王として主に仕え、私の神として礼拝をささげ、私の救い主として感謝して、イエス様を受け入れましょう。イエス様を受け入れる者は、神様の子どもとなるのです(ヨハネ1:12)。
Filed under: 柴田晃伝道師