17.04.23

四人のツァラアトに冒された人たち

Ⅱ列王記7:1-20

私たちは、仕事が順調にいかなかったり、対人関係で摩擦を生じたり、経済的な困窮を味わったりして、様々な苦しみを通ることも多いのです。そんなとき、私たちが神様の助けをいただくために必要なことを学びましょう。

1.みことばを聞こう

イスラエルの人々は偶像を拝むようになり、真の神様から離れてしまっていました。北イスラエルの首都サマリヤの町はアラム軍に包囲され、ひどい飢饉に苦しんでいました。もう皆が飢え死にしそうになったとき、神様はエリシャによって語られました。「主のことばを聞きなさい。主はこう仰せられる。『あすの今ごろ、サマリヤの門で、上等の小麦粉一セアが一シェケルで、大麦二セアが一シェケルで売られるようになる。』」

神様に助けを受けるために、一番大事なことは、神様のみことばを聞くことです(申命記6:4)。私たちは苦しいとき、みことばを求めず、自分の考えで解決を探してしまいますが、まず神様のみことばを聞きましょう。信仰の始まりは聞くことです(ローマ10:17)。御前に静まりみことばを待ちましょう(詩篇37:7)。

2.みことばを信じよう

王の侍従は、神様のみことばを聞いた時、状況を見て、それはあり得ないと言いました。確かに敵は大軍で、町の中はひどい飢えで皆が死にそうに弱っています。上等な小麦粉が安く手に入るなどとは考えられなかったことでしょう。しかし大切なのは状況を見ることではなく、神様を見ることです。神様に不可能はありません(ルカ1:37)。神様のみことばは真実です。みことばは必ずその通りになるのです。神様のみことばを信じた人は、その祝福にも与(あずか)ることができるのです(ルカ1:45)。

信じなかった侍従は、みことばが実現することは見ても、それを食べることができませんでした。人々に踏みつけられて死んでしまったのです(Ⅱ列王記7:17-20、へブル10:39)。

3.主は不思議な方法でみことばを実現される

サマリヤの町には、敵に立ち向かう者もなく、人々はただ死を待つばかりでした。サマリヤには勇者はおらず、ただツァラアトに冒された4人の人たちがいました。彼らは、見捨てられたような人たちで、まったく役に立たない人たちとみなされていたことでしょう。しかし、神様は彼らの行動力と誠実さを用いられたのです。

彼らが死を覚悟して敵陣に向かって行くと、そのときの音を神様が拡大させ、敵に恐怖を与え、敵を追い払ってしまいました。こうしてたくさんの食糧を得ることができました。

4人は、目の前の食べ物をあさり、高価なものを隠して回ったりしましたが、このようなことは正しくないと気づき、サマリヤの町に戻って食べ物があることを報告しました。そしてみことば通り、本当に町で穀物が安く売られるようになりました。こうして神様のみことばは本当に実現したのです。

この4人のツァラアトの人たちは、イエス様のようです。イエス様も鞭うたれ血まみれになり、十字架にかかられました。しかしイエス様の贖いの御業により、イエス様を信じるすべての人が救われたのです。イエス様こそいのちのパンです。イエス様によって私たちは父なる神様の祝福を受けてゆくことができるのです。

私たちは、神様の助けを受けるために、まずみことばを聞きましょう。そして信じましょう。そのとき神様は、無に等しいような私たちを用いられて、大きな救いをもたらしてくださるのです。

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