
19.06.23
世界は広く、まだ福音を聞いたことのない人々も多いです。実は日本もいまだに未伝地という扱いになっていて、多くの人々が真理を知らずに迷っています。私たちクリスチャンたちはどうしたらよいのでしょうか。
1.人々が信じなくても主をあかししよう
イスラエルの人々は、バアルと真の神との間でどちらつかずにいました。またバアルを信奉するアハブ王と450人のバアルの預言者もいる中で、預言者エリヤがたった一人で人々の前に出て、「真の神に従え」と呼びかけました。人々は無反応でしたが、それでもエリヤは主のしもべとして語るべきことを語らなければなりませんでした。このような状況の中、一人で真の神を証しすることは、どれほど勇気の要ることでしょうか。私たちはたとえ少数派でも神様が共におられます。エリヤのように主を信じることを人々に勧めましょう。
日本人は、お正月は神道、お葬式は仏教、結婚式はキリスト教、仏教のお盆、神社のお祭り、クリスマスなどなんでもありで、多くの人々がどっちつかずな状態です。真の神様だけを信じることができず、自分勝手な生き方をしています。このような人々に対して、私たちは恐れず福音を語り続けなければならないのです。たとえ少数派であったとしても、神様がともにおられるのですから、恐れず人々に主を信じることを勧めましょう(エゼキエル2:4-7、使徒18:9)。
2.主の栄光のために、主の御業をもとめよう
人々がエリヤのことばに従わず、相変わらずどっちつかずだったので、いけにえの牛を用意させ、バアルの祭壇と真の神の祭壇との上にそれぞれ載せて、それぞれの神の名を呼んで、火をもって応える神が本当の神様だということで合意しました。バアルの預言者たちはバアルの名を呼び、踊り回り、剣で体を傷つけて呼び求めましたが、何も起こりませんでした。彼らの神は人間が作った神の像すぎなかったからです。
次にエリヤは、まずイスラエル12部族を表す12の石を取って祭壇を築きました。これは、エリヤがイスラエルの神様を信じていることを意味しています。それからエリヤはいけにえの雄牛に何度も水をかけさせました。なぜなら、人間の手によってではなく、ただ神様によって、天から火が降り、全焼のいけにえを焼き尽くしたことが明らかになるためでした。それによって人々が真の神様を信じ、立ち返るためでした。それは主の栄光のためでした。
私たちもイエス様のうちにとどまり、イエス様のみことばが私たちの内にとどまって、主の弟子となるなら、何でもほしいものを求めることができるのです。それは神様の栄光のためなのです(ヨハネ15:7-8)。
神様はモーセを用いて海を分け、イスラエル人を救われました。この出来事はイスラエル人だけでなく、エジプト人も周辺諸国の人々に主の偉大さを示しました。この素晴らしい出来事は主の栄光のためだったのです(出エジプト14:16-18)。
イエス様もラザロが病気との知らせを受けたとき、すぐにラザロのところに行かないで、ラザロが死んでから行き、ラザロを甦らせるという大きなことをされました。それは神様の栄光のためでした(ヨハネ11:4)。
人々を救いへと導くためには、ときには人間の力の及ばないような、主の大いなる御業が必要です。それは神様の御業によって人々が神様を信じるようになるためです。私たちも主の栄光のために、主の御業を求めることができるのです(ヨハネ14:12)。人々がそれを見て、心から悔い改めて救われるためです(ヨハネ15:7-8)。私たちも主の栄光のために、職場や学校などで、主の御業が現わされるよう祈りましょう。
3.主と同じ心をもつ、主のしもべになろう
そしてエリヤは「私があなたのしもべであり、あなたのみことばによって私がこれらのすべての事を行ったということが、きょう、明らかになりますように。」(Ⅰ列王記18:36)と祈りました。この祈りのことばから、エリヤが主のみことばに従い、主の御心を行う者であったことが分かります。
そしてエリヤが祈ると天から火が降ってきて、いけにえとたきぎと石とちりを焼き尽くし、水もなめつくしたのです。人々はこれを見て大いに驚き、主こそ神ですと叫びだしました。
私たちも、主に従い、主の御心を行う者になりましょう。神様と同じ思いを持つ者が神様のしもべであり、その者によって主は御力を現わされます(Ⅱ歴代誌16:9a)。
どっちつかずの人々、福音を聞いても変わらない人々の救いのために、神様の御業が現わされることが必要です。そのためには、私たちもエリヤのように主の御心を行う主のしもべとなり、主の栄光のために主の御業を祈り求めましょう。それは、人々が「主こそ神です」と告白するようになるためです。