Ⅰ列王記18:16-40
240225
今、教会の数が減ってきていることをご存じでしょうか。クリスチャンが減り、多くの人々が神なしで生きています。しかし、人々には主の救いが必要なのです。私たちクリスチャンは、どうしたらよいのでしょうか。御言葉から学びましょう。
1.偶像には力がない
北イスラエルでは国中で偶像礼拝がなされていました。そのため、国中で雨が降らず、人々は飢え渇いていました。雨が降らなくなって3年半して、再びエリヤに主の言葉がありました。御言葉に従い、エリヤはアハブ王に会いました。そして、エリヤはバアルの預言者たちと対決することになりました。
バアルの預言者たちとアシェラの預言者たち、それからどっちつかずのイスラエルの人々が、カルメル山のエリヤのところに集まりました。彼らは、バアルか主か、どちらが本当の神なのか、勝負することになりました。いけにえの牛を祭壇に乗せ、それぞれの神の名を呼んで、火をつけた神を本当の神とすることにしました。
バアルの預言者たちが先に祈り始めました。彼らはバアルの名を呼んで祈りましたが、何も起きませんでした(Ⅰ列王記18:26-29)。イスラエルの人々は、バアルの神を礼拝すれば豊作になると信じて、何年もバアルに仕えて来ましたが、豊作になるどころか、雨は降らず、作物は育たちませんでした。バアルは全く力がなく、真の神ではなかったのです。
私たちは真の神以外のものに期待してはいないでしょうか。イエスは私たちが富(金や財産)という神(マモン)に仕えることがないようにと警告しています(マタイ6:24)。
真の神は私たちの主、天地を創られた唯一の神だけです。この方は眠ることもなく、まどろむこともありません。いつも私たちに目をそそぎ、導いてくださるのです(詩篇121:1-8)。
2.神の教会の一員として主を礼拝する
エリヤは12の石をもって壊れた祭壇を立て直しました(Ⅰ列王記18:30-32)。その12の石はイスラエル民族を意味するものでした(創世記32:28、35:10)。神がイスラエル12部族を神の民として生み出したのです。イスラエルは神のみを礼拝する民として立て直されなければならなかったのです。このことは、私たちにとって、教会を立て直すことです。イエスはこの地上に、イエスを神の御子キリストと信じる教会を、12弟子を通して建て上げられました(マタイ16:18)。それは、建物のことではなく、キリストを主とする神の民、クリスチャンたちです。私たちも神の教会を構成する者です。神を礼拝する者になりましょう。
エリヤは神の奇跡が明らかになるために、いけにえの牛に、4つのかめの水を3度かけました。これによって神に栄光が帰せられるためです。水のバプテスマには死の意味があります(ローマ6:4)。世界はイエスを十字架にかけ、イエスは3日間死の中を通られました。私たちも主を礼拝するとき、主が私たちのために犠牲になられたことを覚えましょう。
こうして、エリヤが祭壇を立て直して戦ったように、私たちも教会を立て直すところから始めましょう。サタンは世の人々を捕まえて地獄に閉じ込めますが、教会は囚われ人たちを解放するのです。教会は地獄の門ハデスより強いのです(マタイ16:18)。
3.火を降らせる神は、私たちに聖霊を注がれる
それからエリヤは神に祈りました。「これらのことは神の御言葉によることであり、人々が真の神に立ち返るために、天から火を降らせてください。」(Ⅰ列王記18:36-37)その時、本当に天から火が下り、祭壇もいけにえも焼き尽くしてしまいました。このとき、イスラエルの人々は、主が真の神であることをはっきりと知りました。それまでは主が神であることがわからず、どっちつかずだったのに、はっきりと主に従うようになりました。
聖霊と火のバプテスマを注ぐ(ルカ3:16)とあるように、この火は聖霊をあらわしていると考えられます。ですから、祭壇に火が降ってきて、いけにえを焼き尽くしたというのは、教会に聖霊が注がれたということを意味します。人々がそれを見て真の神に立ち返ったように、聖霊が注がれた教会が、人々を真の神に立ち返らせるのです。エリヤが火を求めて祈ったとき、天から火が下ったように、私たちの教会にも聖霊が注がれることを求めましょう。また、私たち一人一人が聖霊に満たされましょう。それによって、多くの人々が真の神に立ち返るのです。
まとめ
クリスチャン人口は少なくても、私たちは教会に集い、神の民であることを証ししましょう。イエスの御名によって心から神を礼拝し、聖霊が注がれるよう祈りましょう。主は聖霊を教会に注がれます。聖霊に満たされましょう。そして聖霊の力で人々に真の神を証ししていきましょう。
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