20.1.5.
「主の祈り」は、私たちの祈りの基本であり、祈りの模範です。「主の祈り」の前半は、神に関わる祈りであり、神を求める祈りとなっています。後半の祈りは、人間に関わる祈りであり、私たちの必要を求める祈りであると言えます。「主の祈り」の中に、私たちの祈りの全てが含まれています。
イエスは、まず「天にいます私たちの父よ」(9)と祈るようにと教えました。祈りは神に対する祈りですが、この祈りはその神がどのようなお方であるのか、神と私たちの関係がどのようなものであるのかが示されています。
1.創造者なる唯一の神
私たちは、神に対して祈りますが、「主の祈り」では、「私たちの神よ」と祈るのではなく、「私たちの父よ」と呼ぶようにと言われています。神が「父」と呼ばれるのは、神が全てのものを生み出した「創造者」だからです。「父」という言葉が、他の「神」と呼ばれているものと区別するものとなっているのです。この世界には、「神」や「神々」と呼ばれるものが数えきれないほどありますが、私たちの信じる神は、天と地とそこにある全てのものを造られた方です(Ⅰコリ8:5-6)。
聖書の最初の書である創世記の最初の言葉は、「初めに、神が天と地を創造した」(創1:1)となっています。この言葉には、神がどのようなお方であるかが明確に示されています。「初めに」とは、全てのものが存在する前の何もない状態のことです。聖書は、「初め」から、全てのものが存在する前に、「神」がおられたと言っているのです。また、「創造した」(バーラー)とは、無から有を生じさせたという意味です。全てのものが存在する前の何もない時から、「神」はおられました。
そして、この「神」が「天と地」とそこにある全てのものを無から「創造」したのです。まさに、「すべてのものはこの神から出」たのです。「神」は、全てのものの「創造者」であるゆえに、「父」と呼ばれるのです。パウロは、この「創造者」なる「神」を「父なる唯一の神」と呼び、祈りました。「こういうわけで、私はひざをかがめて、天上と地上で家族と呼ばれるすべてのものの名の元である父の前に祈ります。」(エペ3:14-15)
2.全てを超越した偉大な神
「主の祈り」では、「神」が「天にいます」方であると言われています。ここで言われている「天」とは、この地上の上にある「空」のことでも「宇宙」のことでもありません。この「大空」も、その上に広がる「宇宙」も全て「神」が造られたものです。「神」は、この有限なる「大空」や「宇宙」に限定される方ではありません。「神」は、この「宇宙」よりも偉大なお方であり、「宇宙」を超えて存在される方です。ですから、「主の祈り」の「天にいます」という場合の「天」とは、「大空」や「宇宙」を越えた場所ということです。Ⅱコリ12:2には、「第三の天」という言葉があります。「第一の天」は「大空」のこと、「第二の天」は「宇宙」、そして、「第三の天」とは、それらを超えたところを指しています。その「天」とは、この世界とは違った次元にある世界であり、人間の世界をはるかに超えた場所、物質的な世界ではなく霊的な場所、永遠の場所です。その「天」に、「神」はおられるのです(イザ57:15)。
「神」が「天」におられるということは、「神」がこの世の全てのものを超越した偉大なお方であるということです(詩97:9)。また、神」が「天」におられるということは、「天」が地上の全てを覆っているように、「神」が「この世界の全てを支配しておられる」ということも意味しています。「天にいます」「神」は、「天」から全てのものをご覧になり、知っておられ、全てのものを支配しておられます。「神」は、私たちのことをご覧になり、知っておられ、支配し導いて下さるお方です。
3.神を父と呼ぶことができる
「神」は、「創造者なる唯一の神」であり、「全てを超越した偉大な神」です。その「神」に向かって、「私たちの父よ」と呼びかけることが出来るのです。すなわち、私たちが「神の子ども」とされているということです。そのために、「神」は私たちに素晴らしい愛を示して下さいました(Ⅰヨハ3:1)。かつて私たちは「自分の罪過と罪との中に死んでいた者であって」(エペ2:1)、「御怒りを受けるべき子ら」(2:3)であり、「望みもなく、神もない人たちでした」(2:12)。そして、最終的には、裁かれて滅びなければなりませんでした。しかし、「神」は、私たちを救うために、御子イエス・キリストを遣わして下さいました。このキリストを救い主として信じ受け入れた時、罪は赦され、義と認められ、永遠のいのちが与えられ、そして「神の子ども」(ヨハ1:12)として受け入れられたのです。
イエス・キリストを信じた私たちの内には、聖霊が宿るようになりました(エペ1:13-14)。そして、私たちは、この御霊によって、「神」に向かって、「アバ、父」と呼ぶことが出来るようになったのです(ロマ8:15、ガラ4:6-7)。「アバ」は、小さい子どもが父を「神」ぶときに用いるアラム語です。「アバ、父」という呼びかけは、「神」に対する最も親愛な表現なのです。ですから、「神」に向かって「アバ、父」と呼びかける時、「神」との特別な関係、「神」との親しい交わりにあることを覚えさせられ、「神」の愛を感じることが出来ます。私たちの「父」なる「神」は、私たちの必要を全て知っておられます(マタ6:32)。そして、ご自分の子どもたちの祈りに答え、「良いもの」(マタ7:11)を与えて下さるのです。
イエスは、「だから、こう祈りなさい」(マタ6:9)と言われました。私たちに「アバ、父」と、まず「父」なる「神」を呼び求めるようにと教えています。「神」を「私たちの父」、「アバ、父」と呼びかけることが出来る特権と恵みを覚え、祈りによって「父」なる「神」を求め続け、親密な交わりを持ち続けましょう。