16.11.06.

平和をつくる者となる

マタイ5:9

イエス様は、単に「平和を好む者は幸いです」と言われたのではありません。
イエス様が求めておられるのは、「平和」を実現すること、「平和をつくる」ことです。
「平和」は「自然にできるもの」ではなく、「つくるもの」であるということです。
どのようにしたら「平和をつくる」ことが出来るのでしょう。

1.神様との平和を持つ

神様がこの世界を造られた時には戦いや争いはありませんでした。
なぜなら、全てが神様の権威と支配の元にあって、秩序が保たれていたからです。
しかし、アダムとエバは、神様の言葉に背き、神様の権威と支配から外れてしまいました。
その結果、人間は自分自身が自分の権威となり、
自分の思いや気持ちに従って生きるようになりました。
神様中心の生き方から、人間中心の生き方になってしまったのです。
そのため、お互いに自分の権利や利益を主張し、対立するようになってしまったのです。
この世界は、神様の秩序が失われ、戦いや争いの絶えない世界となってしまいました。
ですから、人間は神様との「平和」を回復し、神様の権威と支配の元に立ち返らない限り、
人間関係において「平和」をつくり出すことは出来ないのです。
この「平和」の実現のための道を備えて下さったのは、神様ご自身でした。
神様は、人間を愛し、人間との「和解」と「平和」を実現するために、
ご自身のひとり子イエス・キリストをこの世界に送って下さいました。
イエス様は、神様と私たちを隔てていた罪を身代りに背負い、十字架にかかり、
神様の裁きを受けて死んで下さいました。
私たちに対する「敵意」は、十字架のイエス様に下され、取り除かれました。コロサイ1:19-22
イエス様の十字架の死によって、神様との間の「敵意」は葬り去られました。
私たちが罪を悔い改め、イエス・キリストを信じ受け入れ、神様に立ち返る時、
神様との「和解」と「平和」を持つことが出来るのです。ローマ5:1。Cf.ヨブ22:21
私たちは、神様と「和解」して、神様の権威と支配の元に生きる者となったのです。

2.相手に歩み寄る

「平和をつくる」ために、私たちが倣うべき模範は、父なる神様であり御子イエス様です。
父なる神様と御子イエス様が人間との「平和をつくる」ために成して下さった方法から、
人間同士の「平和をつくる」ことも学ぶことが出来ます。
父なる神様は、敵対関係にあった私たちを、見捨てたり、見放したりはしませんでした。
神様は、ご自分の方から、私たち罪人である人間に歩み寄って下さいました。
また、イエス様は、私たちと「平和をつくる」ために、神様の在り方を捨て、
へりくだって私たちと同じ人間の姿になって、この世界に来て下さいました。
そして、イエス様は、私たちと同じような苦しみや悲しみを経験されたので、
私たちの弱さを理解し、同情して下さるお方なのです。へブル4:12
ですから、イエス様は、私たちの罪の身代わりに十字架にかかられた時、祈られました。
「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか分からないのです。」(ルカ23:34)
パウロは、そのようなキリストの模範にならうようにと教えています。ピリピ2:3-8
自分の正しさを主張し、相手を非難するのではなく、相手に歩み寄るのです。
相手の表面的な部分を見て裁いたり、偏見や差別の目で見て相手を避けるのではなく、
相手に歩み寄り、相手を知り、理解することが大切なのです。
それは、自分のエゴに死に、プライドを捨て、へりくだらなければ出来ないことです。
それは、まさしくイエス様が私たちのためにして下さったことなのです。
相手を理解出来るようになると、戦いや争いを避け、「平和をつくる」ことが出来ます。

3.敵意を受け止める

エペソ2:14-16。イエス様は、神様と人間との間の「平和をつくる」ために、
神様と人間との間にあった「敵意」をご自分の身に引き受け、死んで下さいました。
イエス様は、十字架にかかって死なれることによって、
「敵意」という「隔ての壁」を打ち砕き、神様との「平和」を実現して下さったのです。
私たちは「敵意」によって、目に見えない「隔ての壁」を築いてしまうことがあります。
イエス様が「敵意」をご自分の身に引き受けて、ご自分の死によって取り去られたように、
相手の「敵意」を受け止めることで、その「敵意」を取り去ることが出来るのです。
相手の「敵意」をこちらの「敵意」によって跳ね返そうとするのではなく、
「敵意」を受け止めることによって、「敵意」を無力にすることが出来るのです。
「敵意」に対して「敵意」で応えるならば、新たな「敵意」を生み出すことになります。
それを繰り返すことによって、「敵意」はいつまでも無くならず、
いつまでも戦いや争いが続くことになるのです。
ですから、たとえ、相手から非難を受けても、相手を非難し返すのではなく、
相手を無条件で受け入れる姿勢が必要です。
これは、相手の要求は何でも聞き入れることではありません。
自分を義とする立場で、相手を憎んだり、恨んだりするのではなく、
相手の言い分にも耳を傾け、相手の立場や気持ちを受け止めるのです。
たとえ相手が「敵意」を持っても、「敵意」をもって応えることなく、
「善意」をもって相手に向かうのです。ローマ12:17-21。Cf.マタイ5:38-44
そのためには、イエス様が十字架にかかって死なれたように、
私たち自分自身もエゴとプライドに死ななければなりません。

「平和」のために具体的な行動を起こす人は、「神の子ども」として認められます。
私たちは、イエス様を信じて「神の子ども」とされました。
すなわち、私たちは「平和をつくる者」とされているのです。
私たちクリスチャンは、神の国の大使、「平和」の使者です。Ⅱコリント5:18-20
神様は、私たちが「平和をつくる者」となることを望んでおられます。
私たちの家庭、学校、地域、社会、世界に、「平和をつくる者」となりましょう。

Filed under: 伊藤正登牧師