16.7.10.
役に立つ者となったマルコ
Ⅱテモテ4:11
マルコは、12使徒の一員ではありませんでしたが、
「マルコの福音書」を書くという大きな役割を果たしました。
マルコは、どのような人物だったのでしょうか。
1.弟子となったマルコ
「マルコ」はギリシヤ語名で、ヘブル語では「ヨハネ」と呼ばれていました。使徒12:12。
使徒12章に書かれている出来事は、ペテロが捕らえられ、牢屋に入れられた後、
御使いによって奇跡的に救出されたということです。
その後、ペテロは「マルコと呼ばれているヨハネの母マリヤの家へ行った」とあります。
マルコの家は、「大ぜいの人が集まって」、祈り会を持つことが出来るほど広かったのです。
また、「ロダという女中」(使徒12:13)がいたことから、かなり裕福な家でした。
マルコの家は、エルサレム市内にあり、
イエス様と弟子たちの集まりで用いられていたと考えられます。
伝承によれば,この家は、最後の晩餐の「二階の広間」(マルコ14:15)のある家であり、
ペンテコステの日に、聖霊が臨まれた時に、弟子たちが集まっていた、
「屋上の間」(使徒1:13、2:1-2)のある家であったと言われています。
つまり、マルコは、イエス様にも弟子たちにも会っていたということです。
イエス様が捕らえられた時に、弟子たちはみなイエス様を見捨てて逃げてしまいました。
その時に、「ある青年が、素はだに亜麻布を一枚まとったままで、
イエスについていった」(マルコ14:51)のですが、彼も捕らえられそうになったので、
「亜麻布を脱ぎ捨て、はだかで逃げた」(マルコ14:52)とあります。
この「ある青年」は、「マルコの福音書」を書いたマルコ自身であると言われています。
ところで、マルコは、「バルナバのいとこ」(コロサイ4:10)でした。
そして、バルナバは「レビ人」(使徒4:36)であり、祭司の家系にあったので、
バルナバのいとこマルコの家も祭司の家系であったと考えられます。
他の多くの弟子たちがイエス様を見捨てて、逃げてしまい、隠れてしまっていたのに、
マルコは、イエス様を気にかけ、危険を冒してまで、イエス様の後について行ったのです。
マルコは、心からイエス様を愛し、慕う弟子だったと考えられます。
2.失敗してしまったマルコ
マルコの家は、エルサレム教会の設立に大きく貢献したと考えられます。
エルサレム教会では、マルコのいとこであるバルナバも仕えていました。使徒4:36-37。
また、バルナバは、パウロをエルサレム教会に紹介する役割をしました。使徒9:26-28。
その後、バルナバは、エルサレム教会からアンテオケ教会に遣わされた時、
パウロをタルソから呼び出し、一緒に働きをするようになりました。使徒11:19-26。
数年後,ユダヤ地方に飢饉が起こり、アンテオケ教会はエルサレム教会を助けるため、
パウロとバルナバに救援物資を託して、エルサレム教会へと帰らせました。使徒11:27-30。
パウロとバルナバが任務を果たし終えて、アンテオケ教会へと戻って行く際、
バルナバのいとこであるマルコを連れて行きました。使徒12:25。
その後、パウロは、バルナバと共に、第一回伝道旅行へと遣わされます。使徒13:1-3。
その際に、マルコを「助手として連れていった」のでした。使徒13:5。
しかし、彼らがキプロスから小アジヤ南部「パンフリヤのペルガに渡った」時、
マルコは「一行から離れて、エルサレムに」(使徒13:13)帰ってしまいました。
この時のマルコの勝手な行動と離脱は、後に第2回伝道旅行に出かける際、
マルコを一緒に連れて行くかどうかということで、パウロとバルナバの間に、
意見の対立と別行動をもたらす原因となりました。使徒18:36-41。
マルコは、イエス様を心から愛する弟子でしたが、
決して完璧な人間であったわけではなく、人間的な弱さもあったのです。
3.変えられ成長したマルコ
約10年後、パウロがローマの獄中からコロサイ教会やピレモンに手紙を書き送った時,
そこにマルコはパウロと共にいました。コロサイ4:10。
パウロは、コロサイ教会の人々にマルコを「歓迎するように」と命じています。
また、パウロは、かつてマルコを同労者として伝道旅行に連れて行くことを拒みましたが、
そのマルコを「同労者」と呼ぶようになりました。ピレモン24。
そして、パウロは、自分の生涯が終わろうとしていた時、
マルコを「彼は私の務めのために役に立つ」者であると評価しています。Ⅱテモテ4:11。
パウロは、かつては伝道旅行に「いっしょに連れて行かないほうがよい」と言っていましたが、
この時には、一緒にいてほしい弟子となっていたのです。
マルコは、バルナバの元で訓練を受け、立派な働き人へと成長していったのでしょう。
また、マルコは、ペテロと共に「バビロン」すなわちローマにいました。Ⅰペテロ5:13。
この手紙は、小アジヤ北部の諸教会に宛てて書かれた手紙です。
マルコは、ペテロと共に小アジヤでの伝道活動をしていたので、知られていたのでしょう。その地方は、かつてマルコが行くことを拒んだ地方でした。
伝承によると、マルコはペテロの通訳者でもありました。
マルコは、ペテロと共に各地で伝道活動をして回り、
ペテロから聞いたイエス様の教え、奇跡、働きを書き記したと言われています。
これらはまとめられて、「マルコの福音書」となりました。
4つの福音書の中で一番最初に書き記されたのが「マルコの福音書」です。
これこそが、マルコが果たした人類に対する最も大きな貢献であると言えます。
このように、マルコは、役に立たない者から、「役に立つ」者へと変えられたのです。
オネシモも「役に立たない者」でしたが、「役に立つ者」に変えられました。
神様は、私たちをも「役に立たない者」から、「役に立つ者」へと成長さて下さるのです。
しかし、人が変えられ、成長していくためには、時間と忍耐が必要です。
神様ご自身を慕い求め、主の臨在の中に歩ませていただきましょう。
御霊によって、「栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます」(Ⅱコリント3:18)。
神様の働きと栄光のために「役に立つ者」とならせて頂きましょう。
Filed under: 伊藤正登牧師
実は僕は献身者でありながら、このマルコのように自分の使命を手放し教会を離れ神学校も休学しています。
しかし主の助けのなか指導者との交わりが与えられ、そしてこのメッセージをよく読むように言われました。
宣教旅行から逃げ出したマルコの愚かな行動はまことに僕自身のようです。
でもそんなマルコが主の臨在の中に歩みを変えて大化けしたことにあらためて感銘を受け、僕も前に進もうと思うことが出来ました。
ありがとうございます。伊藤先生と御教会の祝福をお祈りします。在主
コメントをありがとうございました。
少しでもお役に立てられれば感謝です。
聖書は優秀な人たちの成功の記録ではなく、失敗の多い罪人たちの記録であり、
そんな人間に対する神の憐れみ、忍耐、恵みがあらわされている書物です。
その中で、癒され、回復され、揺るがぬ者とされていくのですね。
「聖者とは、絶対に倒れない人ではなく、
倒れても立ち上がって、前進する人である。」バークレー
祝福がありますように。