箴言16:32
24.7.7.
Ⅰコリ13:5には「怒らず」と書いてある。しかし、これを実践することはかなり難しい。実際には、家庭でも、職場でも、学校でも、町でも、教会においてさえも、様々な人との関わりの中で怒ってしまうことがある。しかし、聖書は、怒りを適切にコントロールすることを教えている。
1.短気な者は愚かなことをする
怒りをそのままにしておくと、やがて心が怒りに支配され、破壊的な結果を生じる。聖書の中でも、心が怒りに支配され、人生を台無しにしてしまった人たちがいる。
① カイン(創4:1-8)
カインは、自分の弟アベルのささげ物だけが神に受け入れられ、自分のささげ物が受け入れられなかったことに腹を立て、アベルを殺してしまった。そのため、彼は一生さすらう者となってしまった。
② モーセ(民20:1-13)
神は、モーセに岩に向かって水が出るように命じるように言ったが、モーセはイスラエルの人々の不信仰に怒り、岩を杖で二度も打ってしまった。そのため、モーセは、約束の地に入ることが許されなくなってしまった。
③ サウル(Ⅰサム18:6-11)
サウルは、ダビデが自分よりも人々から賞賛されているのを聞いて、怒りを抱いた。翌日、サウルは、悪霊に満たされ、家の中で狂いわめき、ダビデを殺そうとした。今日も、多くの人々が怒りによって、自分や他人の人生を破壊している。箴14:17。14:29。15:18。
2.怒りの対処法
① 聞くのに早くなる ヤコ1:19
怒りによって、一方的に相手を責めてしまう前に、相手の話を「聞く」ことが必要。その人がどうしてそのような行動を取るのか、自分の視点だけではなく、相手の視点に立って、相手を理解しようとする。相手のことがもっとよく分かったら、怒らずに済んだかもしれない。怒っても小さなもので済んだり、直ぐにおさまったかもしれない。また、その人の欠点や弱点、失敗だけに目を向けないようにする。もしかしたら、その人には愛や何か助けが必要なのかもしれない。一方的に相手を責めず、理解しようとすることが大切(ピリ2:4)。イエスは、ただ一人完璧なお方であり、私たちはみな不完全な者。しかし、イエスは、私たちの弱さを理解し、私たちに同情し、サタンの訴えにも関わらず、日々私たちのために執り成して下さっている。Cf.ヘブ4:15、ロマ8:34。今日も主は、「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです」(ルカ23:34)と祈っておられる。
② 怒りを留めない エペ4:26-27
怒りをそのまま放置してはならない。怒りや憎しみを抱くと、そこを足場にして悪魔が私たちの心に侵入して来る。そして、更に心は強い怒りや憎しみに蝕まれ、自分の精神や体の健康も蝕まれ、やがて人生そのものも破壊されてしまう。そのようにして、私たちを滅ぼすことが、悪魔は策略なのである。Cf. ヨハ10:10。だから「悪魔に機会を与えないように」しなければならない。そのためには、怒りが小さいうちに手放すことが必要。何度も何度も思い返して、怒りや憎しみを繰り返してはならない。被害者意識を持ち続けるなら、いつまでも惨めな気持ちを抱き続ける。ただ怒りを捨て去るだけではなく、愛と赦しを持つことが必要(エペ4:31-32)。相手が赦すに値するからではなく、自分自身のために赦す必要がある。
③ 神に祈りの手を上げる Ⅰテモ2:8
怒りを感じる時、誰かと話す前に、相手と話すよりも前に、まず神のもとに行く。自分の怒り、不満、悲しみなどの感情を神に向かって訴える。神は、祈りに耳を傾けて下さる。そして、神の臨在の中で、主の愛と平安で心が満たされ、慰めと癒しを受けられる。また、相手のためにも祈る(マタ5:44)。Cf.ルカ6:27-28。そして、決して自分で裁いたり、復讐しようとせずに、神に委ねる(ロマ12:19)。
大切なことは、自分自身が変えられること。自分が怒るようになった直接的な原因は、相手の言葉や態度、状況にあるかもしれない。しかし、私たちの側にある根本的な問題が原因となっていることもある。例えば、間違った期待、執着心、プライド(劣等感)、競争心、神経質な性格、焦り、気分(不機嫌さ)、疲れ、睡眠不足、体調不良、空腹、忙しさ、ストレスなど。怒りをもたらす相手が変えられるよりも、自分が変えられることの方が必要かもしれない。私たち自身が変えられる時、相手に対する考えや気持ちも変えられていく。
まとめ&結論
神は、私たちが怒りに振り回されることなく、自分の心を治めることが出来るようにと願っておられる。それは、たった一度の大切な人生が、祝福されたものとなるため。怒りをコントロールすることは、私たちの努力だけでは出来ない。それは神によって可能となる。神の力と助けが必要。神の力と助けによって怒りを治め、勇士にまさる者となろう(ピリ4:11-13)。
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